これもほとんどの伴奏者の方はうまく弾いてくれていましたが、たまに面白い演奏をする方がいらっしゃいました。
それは16分音符をまったく均等に弾こうとするのです。

ゆったりした山形のアルペジョを、まったく均等に弾かれると、何かベルトコンベアーの上を製品が規則正しく流れていくのを見るような機械的な運動を感じるのです。
音楽は幅広い表現が可能ですから、そういう機械的無機的な表現もありだとは思いますが、この曲はそういう種類の音楽ではないでしょう。

特にバロックを過ぎてロマン派以降の音楽は機械的ではなく、自然界の律動を模倣するような運動を音楽で表現するスタイルが多いです。
スタイルで言えば、舟歌やセレナーデなど舟が水の上を進む様や波の動きなどを模倣したリズムは枚挙にいとまがないですね。
そういう流れでこの伴奏を見てほしいと思います。

と書きながら不思議に思うのは、この曲は水や水上に関連する詩というわけではないのに伴奏形は大型の舟歌という感じがするところです。

このリズムについてどうしても理論的というか機械的分析が好きな方は、強拍、中強拍、弱拍という存在の違いを知ることで、同様なことが表現できることが解ると思います。
その場合に、なぜ同じ音価が連続すると内在する強弱が生じるのか?という点も考えてみるとよいと思います。