最近古いコンサートの録音を聴く機会があり、その演奏がことのほか出来が良かったので、考えたことをまとめてみました。

どうして上手く行ったのだろう?

17年も前のことで、自分が40代半ばで脂が乗った年齢だったせいもあるでしょうが、それ以上に伴奏者の力量に負うところが大きかったと思ったのです。
忘却の淵に追いやられてしまいまいしたが、伴奏者にあれこれと注文を付けた記憶がほとんどないのです。

で、録音を聴いてみると驚くほどに音楽がしっかりしている。
まずリズム感、そして歌手つまり私の呼吸の邪魔をしていないし、むしろ私が伴奏の音楽から呼吸をもらっているとすら思えたのです。

考えて見ましたが、やはりこれは伴奏者が音楽をほぼ完ぺきに理解できていたということに他ならないと思います。
それも、私がイメージしている音楽理解に深く寄り添ってくれていたと思われます。
音楽を理解する、という言葉の意味が広くて難しいですが、理解する要点は必ず万人に通じる普遍的要素はあるはずなのです。

たとえば、ある曲を演奏するとします。
それを選んだのが歌手であって、伴奏者は初めて演奏するものとします。
その場合は、歌手がもろもろ音楽を伝える役目があることと、伴奏者が音楽を知ることから始まり、理解を深めることは必須です。

ただ二人は当然人間が違うため、完全なイメージの合致はありませんが、どこかに合致点を見出さなければいけないでしょう。

私は弾き語りをやることもありますが、弾き語りの良さは伴奏音楽と歌との間にイメージの乖離がまったくないわけです。

伴奏を弾いてもらう場合でも、やはり歌手と伴奏者の間のイメージに乖離が少しでも少ないことが、良い演奏につながるはずです。
そのためには伴奏者と歌手とのコミュニケーションが問われますが、最後は相手の音楽を聴いて適切に言葉で伝えるしかないのです。

フランス語にCorrespondre、という交流とか通信というような意味の動詞があります。
正に合わせる回数の多さと共に、両者の音楽理解を深める交流の努力が溝を埋めてくれるのだと思います。