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プーランクについてその1

ジャン・コクトーと共に

フランシス・プーランクはぼくの大プーランクとコクトー好きな作曲家です。初めて聞いた曲がピアノ協奏曲でした。なんだか古き良き時代のアメリカの映画音楽みたいな、甘ったるい旋律と民謡みたいな旋律が後から後から湧き出てくる。そうかと思うと突然憂鬱な旋律、シリアスな音楽になったりする。比較にならないかもしれないけどモーツアルト的に才気煥発、明るい表面を装いながら実はとても深刻な内面を抱えている、芸術家の二面性のようなものを、てらい無く表現している作曲家だ、という印象を持ちました。
ドビュッシーを初めて聞いた時のような、いかにも高尚な芸術に接したような印象ではなく、覚えやすい旋律をちりばめて、それが無秩序のように見えながら、下手すると下卑た印象を与えかねないのに、どこかに品の良さや、お育ちの良さを秘めている…というそんな作風の作曲家です。
ぼくは声楽家になってからフランス歌曲を随分勉強しましたが、結局自分にとって一番ぴったりくる洋服、サイズがどこをとってもぴたっとはまる作曲家がプーランクなのです。
そんな作風は彼の生い立ちを知るにつれて、納得が行くようになりました。彼は、1899年フランスはパリの裕福な家庭に生まれました。同年代の人で言うと、写真のコクトーや、シャンソンのエディット・ピアフなどがいます。1963年に64歳で死にました。コクトーなどと同じく、とてもハイソサエティな社会の育ちですから、育ちは争えないのだけど、それを逆手にとってちょっとヤサグレタ!風を見せてカッコ付けるところは日本の往年の二枚目スター石原裕次郎みたいですね。それは、JAZZやキャバレーの音楽、シャンソンなどをモティーフにした歌曲に良く表現されています。その歌曲のは20世紀初頭の大詩人、アポリネールによって開花しました。アポリネールはパリ出身ではないのですがパリを歌わせたら天下一品なわけです。プーランクはパリが大好きでした。8区の立派なアパルトマンに普段は住んでいましたが、作曲をする時は、近郊にあるノワゼーというところに所有する館に移って作曲したそうです。そんな時にプーランクはパリを思い出して郷愁にひたるわけです。アポリネールの詩を読んでパリに思いをはせて歌を作ったのですね。

さて、ぼくがプーランクに共鳴する理由、歌を歌える理由は、実はここにあるのです。とはいってもぼく自身はパリに2年くらいしかいませんでした。もちろんその時の印象はとても役に立っていますが、本当はぼく自身が東京に暮らして、東京が大好きである、というところで、イメージを共有できるのです。サンラザール駅近くの陸橋の上から見た電車の線路は、ぼくには日暮里の陸橋から見た線路の印象と同じだし、彼が、グルネル大通りの夕闇の憂鬱を歌えば、ぼくは上野広小路の憂鬱を感じるわけです。
次回はもう少し、プーランクの作品について掘り下げてみたいと思います。
続く