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プーランクについてその3

ローズ・プローと共に
プーランクの作品と言うのは普通の意味での現代音楽が持つラディカルさから程遠い感じがします。技術の発展、という19世紀から飛躍的に進められてきたヨーロッパの歴史に真っ向から反した芸術家の姿勢が特徴とはいえないでしょうか?

作曲家に限らず芸術の世界でも、特にヨーロッパを考えた時に科学の発展、人類の発展というベクトルに合せて発展して来ているところがあると思います。ありとあらゆる技法、かつて使ったことのない技法。それらを発見して、自分の様式として確立して名声を得る。ラディカルであることが何よりも大事である。

そこには、個性、個別性、他人との差異だけが大事であるという極端な個人主義信仰があります。そういうスタイルが煮詰まって来ている中でプーランクはおのれの趣味指向に実に忠実にあろうとした希有の作曲家、芸術家であったのだと思います。ちっぽけな個性ではなく大きな信仰と、歴史を大きく肯定して自分の中にあるあらゆる影響、そしてそれらによって規定された趣味指向をなんのてらいもなく自分自身の言葉として表現したのです。

したがってどこかに聞いたような旋律もあるし雰囲気もある。他の作曲家といかに違うかを競うのではなく、自分と言うものを徹底的に肯定し、自分の感性を信じて疑わなかった、そういう意味では天才的というべきでしょうし、またそれまでのいわゆる芸術作曲家にあった使命感による部分が希薄だとも言えます。
こういう作風はどちらかというとそれまでのいわゆるクラシックの音楽、高踏的な芸術と言われた作品よりは、現代にすっかり根を降ろした大衆的な音楽のスタイルに近いという気がします。
プーランクが生まれ生きた1899年から1963年というエポックは、まさに世界の大衆化という時代だったのです。

プーランクが現代的な作曲家であるとしたら、ひとえにその部分に尽きるのではないかと思います。
一方、プーランクの作品の中に漂う哀愁は、失われつつある、あるいはすでに失ってしまった高貴な時代を懐かしみいとおしんでいる感じがするのです。 メニュー