メロディーを歌うという行為は、演奏の中で大きな位置を占めています。

この当たり前のように思われるメロディを奏でたり歌うという演奏の基本的な行為について改めて考えてみました。

奏者は、それが歌にせよ楽器にせよ、音程や響き、リズムという要素が楽譜通りに正確に奏でられるか?という基礎技術を習得します。

そのための発声であり指使いやタッチであり、呼吸法であるわけでしょう。

さて、基礎がある程度出来ました。
演奏してみます。
良く出来ました。

だったら話は簡単ですが、そうは問屋が卸さない!ということになります。

それは、練習で出来たことが本番でその通りに行かなかったから、でしょうか?
そうかもしれません。
ただ、それだけではないと思ったわけです。
もともとのメロディの奏で方に間違いがあるのです。

決定的な間違いは2点あります。

音の相対的な時間の長さの相違というとらえ方をしないで、見掛けの拍だけ数えて演奏してしまうこと。
もう一点は、一拍という拍節の捉え方が単純すぎること。

音符をフレーズで大きく見ればわかることですが、音符の長さはそのフレーズの中で長いか短いか?に分類されます。
それらの長短の程度の違いは拍節の違いですが、これを譜読みのために数字的に分類して音楽の全体像が出来たら、一度その分類を捨ててしまう事です。

そうすることで、長い音符をどう扱うか?あるいは短い音符をどう扱うのか?という発想が生まれるでしょう。

その発想が生まれることで、そのメロディ、フレーズが持つ生命力が浮かび上がってくるようになるはずです。
メロディが持つ生命力が感じられないで、ただ音符を扱うだけでは、生き生きした音楽の姿は表現できないと思っています。

これらの記譜された音符を具体的にどう扱って演奏に与するか?という部分をアーティキュレーションと呼びます。
これから、このアーティキュレーションの具体的なやり方について、ブログで書いていきたいと思います。