指導者が考えるレッスンについて

声楽レッスンは、一般的にマンツーマン(1対1)で行われる個人教授です。

そして、一般的に言われている「講義」と違う点は、先生が一方的に情報を流し込むのではなく、生徒の「声楽」という行為を先生が客観的に把握し生徒に課題を指摘する。
そして生徒は指摘されたことを実行する、ということです。

指導者の立場として生徒にお願いしたい事は、生徒はまず指摘されたことを理屈抜きでやってみる、という姿勢です。
この理屈抜きでという部分がとても大切なのです。

理屈を考えたり出来ない言い訳をする前に、まずやる。
甘受する、と言う言葉があります。
甘んじて受け入れる。

なぜなら、本番で上手く行かないときに、理屈を言ったり言い訳をして通るでしょうか?
演奏行為は、失敗しても基本的には立ち止まることが出来ませんし、言い訳をしてもそれはみっともない姿を現してしまうだけでしょう。

レッスンは、そのような本番のシミュレーションの意味を持つ要素もあるわけです。

特に、ピアノ伴奏をつけて通して演奏するときは、なおさらです。

先生に言われことをしなければならないし、自分のテーマもクリアしなければいけない!
なのに、自分の頭の中はぐちゃぐちゃになって、何がなんだか分からない!という状態でも、そこで止まらないでとにかくやり通すということ。
こういう練習こそが大切な練習の一つではないでしょうか?

声楽とかスポーツ一般にも通じることですが「行為」は、生理的な理論分析が出来ますが、実際にやってみると理論どおりに行きません。
理論が持つ意味の一つには、行為を後押しするいわばモチヴェーションのようなものがありますが、モチヴェーションさえあれば誰でも上手く出来るわけではないでしょう。

概して熱心な生徒ほど、自身でよく勉強して持って来るわけですが、熱心なあまりに自分のやっていることに熱中し過ぎて、周りが見えなくなってしまうのです。
例えば、指導者が歌を聞いて、その問題点を指摘したとして、生徒の頭は違う部分の問題意識で一杯になってしまい、指導者の言葉を受け入れられない。
あるいは、理解できなくなってしまうわけです。

生徒側にしてみると、自分がこんなに苦労しているのに先生は分からない。分かってくれない。
という不満があるでしょう。

しかし、これも前述のように本番ということを前提に考えるならば、言い訳は通らないです。
それから、先生は分かってくれないという発想は、指導者に対する信頼関係を自らなし崩しにしててしまうものではないでしょうか?

一歩譲って、生徒の問題点に先生が応えることが第一義であるとすると、生徒が自分の問題点を先生に告知して先生の意見を求める、という形式のみになってしまうでしょう。
それで良いのでしょうか?
生徒が気づいていないことを、先生が指摘する、という指導者の存在が持つ大きな意味が抜け落ちてしまうことにならないでしょうか?

演奏行為、まして声楽というものは、自分では判断出来ない要素が多々あるものです。
これを、他者に判断を委ねないで、自分の判断で良し悪しを決めるのであれば、正に指導者の存在価値は半減すると言わざるを得ません。

指導者は、生徒が信頼してくれていると思うから、思ったように発言をして指摘をするわけです。
生徒を信頼しているから、生徒が絶対に出来ないだろう、と思えばそれは言わないのです。

最後に、結論をひっくり返す「裏技」という救いを伝授しておきます!

レッスンでは、とにかく指摘されたことを甘受して、やれるだけをやる。
そして、本番になったら、自分のやりたいことをやりたいようにやれば良いのです(笑)