新年早々お小言めいた一文で恐縮ですが、日頃から思うことがあったので、良い機会と思い書いてみました。

多くの声楽レッスンを受ける方々を見ていると、基礎をしっかり勉強しようとする人とレパートリーを増やそうとする人、の大ざっぱに二分されます。
で、結論から言いますと、どんなに経験を積んだとしても基礎訓練は重要なのです。

それは、声楽はどのようなレパートリーを対象にしても、喉を楽器として完成されたものにすることに大きな意味があるからです。
結果的に演奏表現の深化に大きく関係するのです。

声楽以外の「物としての楽器」は、当たり前ですが物として既に完成されていますから、楽器を音楽演奏のために扱う人の演奏技術を伸ばすことが主眼になります。
この違いがとても大きいことに気付いているでしょうか?

かなり多くの人が、「自分を楽器に仕立て上げること」によってその技術を高め、結果的に音楽性の高い演奏を目指すという過程の重要性を過小評価していると思うのです。
というのも、普通の意味で歌うだけであれば、これはそれほど発声を考えなくても、人によってはかなり歌えてしまうからなのです。

ところで、私がフランス歌曲を多くレパートリーにしているからか、皆さん良くフランス歌曲をレッスンに持って来ます。
喜ばしいことですが、一方で、どうもフランス語そのものにあまり興味をもっていないらしい、と感じることがあります。
多分イタリア語でも何語でも同じなのではないでしょうか?

外国語を歌うのであれば、その外国語に興味を持ってほしいし、特に発音の部分を良く研究して、音読することに喜びを感じられるまでになってほしいのです。
ぺらぺら喋れるようになったり、聞き取りが上手くなれとは思っておりません。

もちろん、そこまで達成できれば理想的ですが、最低限、歌詞を流暢に読めることと、他人の訳詞を見ないで自分の力で訳せるようになること、の2点を望んでいます。
以上のことを大人になってから始めるとするならば、普通なら何か国語もたくさん出来ないはずなのです。

薦めたいのは、一か国語に的を絞って徹底して勉強してほしいことです。
一か国語を深めれば、他に応用が効くからです。

取りあえず読めない言葉に振り仮名を当てはめて歌うやり方は、声楽的には最もやっていただきたくない方法です。
これは、発声の基本的な声質を深化させることと共にレガートに歌う、ということが難しくなるからです。
一方で、何となく「クラシックの歌はレガートに歌われるものだ」ということだけは頭で解っているために、結果的に歌詞の不明瞭な母音だけを歌い継いでいるような歌になっていないでしょうか?

日本語の歌があるのにわざわざ外国語で歌うということは、少なくともその歌手がその外国語に興味を抱いている、という前提は必要ではないでしょうか?
聴衆もそう思って聴くと思います。

しかし、もし「クラシック音楽の歌だから、大して解らなくても興味がなくても外国語で歌うのが一般的なことであり、外国語を勉強するために声楽をやっているのではない」と思っているならば、それは明らかに考え違いです。
私がどうして歌詞の語学やその発音にこだわるか?といえば、そのことが「レガートに歌う」発声法に大きく関係するからなのです。

精進とか勉強とか訓練というものは、自主性が大事です。
レベルが高いとされる人、あるいは自分がそうだと少しでも思っている方は、自身を過信したり自己満足に陥らないで、いつも進化してほしいし、より上を目指してほしいと願います。

これが、実は一番難しいことですが、それを私は声を大にして言いたいです。
「アトリエムジカC」の意味はそこから出来ているからです。