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中田喜直の「髪」を練習した。

声も音程も良いのだが、ニュアンスが不足している印象だった。
それは声の強弱や音程感の微妙な変化である。
発声の基本が出来ているという前提で観れば、これらのことを行うための根源的な力は、詩と音楽の総合理解と想像力に尽きるだろう。

彼女が研修所で指摘されたという、ピアノ科出身らしい歌い方ということを、噛み砕いて言えば、悪い意味で譜面通り正確に歌っている、と解釈して良いだろう。
それと、感情の拠り所が感じられないということ。

このことも、煎じ詰めれば音楽理解の問題につながるはずである。

音楽表現に絶対的な正解はないと考えるとしても、演奏面から見れば人間感情の基本である、喜怒哀楽にはめることは必要と考えた。
その点では、哀になるだろう。

音楽的・理論的には、語感に重きを置く母音に、変化音を当てはめている点に留意すると良いだろう。
特に愛撫という言葉の語頭のあ母音が♭になっていること。

何より詩をよく読んで、詩の背景をある程度自分の想像内で決めることが大切である。
声は全体にMF以上の声量になるが、もっとPPやPの声、声質の研究が求められる。
そのことによって、ブレスももっと伸びるはずである。
結果的に表現力が増すということになるであろう。

フィガロの結婚からスザンナのアリア、Venite inginochiattevi
ここは、声を張り上げるところではなく、ケルビーノをからかう場面。
声の強さよりも、語りの柔軟さが求められるであろう。
力まないで歌詞をてきぱきと素早く語れる声量や声質を研究すべき。

特に16分音符が連続する、早口の面白さは、声を張ると音程も♭になるし、語り口がほとんど分からない歌になるから、要注意である。