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発声練習はI母音で下降形から始めた。

特に指摘しなくても中低音の声はバランスの良い響きになりつつある。
高音域、換声点を過ぎてからの発声練習はほとんどやっていない。

というのも、中低音の発声がわかれば自ずと判るはずと思っている。
中低音と一言で言っても、ただ出しやすい音域という理解は間違いである。

実際問題として換声は存在するし、中低音域で音楽的に良い声を駆使するためには細かい技術が必要で難しい面が多々ある。

それは単に母音を一色で歌えば済む話ではなく、歌詞発音の中でどのように声をコントロールするか?と言う点が問われることからも類推できるであろう。
イタリア語であれフランス語であれ、ドイツ語であれロシア語であれ、何語であれ歌詞という要素が歌声を修飾する必然がある限り、中低音発声の技術は難しいはずである。
それは、音楽的な要素を守りながら、歌詞発音の美しさや明快な理解を得られる歌声を達成する意味においてである。

今回のレッスンで練習したAu bord de l’eauにおける、語尾のEのあいまい母音の処理はその典型。
単語単位というよりは詩の文節の語尾にEあいまい母音が来るスタイルが、フランス詩は多いため、テクニックとしてはとても大切だ。
この中低音域で喉が開いていて音程の良い明るい響きを得るためには、いわゆる「鼻腔共鳴」的な発声が豊かな中低音の歌声に必須となるだろう。
口の開度、唇の使い方、軟口蓋を上げる意識と喉の開きとのバランス等々、今日の発声上の課題はこの鼻腔共鳴のことが中心になった。

それから、2曲とも一見、形而上的に思える、歌詞のイメージを持つこと、あるいは詩が表現している世界を良く理解して、自分の経験に置き換えて、そのことを一心に集中して歌ってみることを課題とした。
実際、歌声はある種の充実感を以て伝わってくるのである。
ある種のことに集中することで、息の流れに変化が顕れるのだと思う。
これが声帯振動に微妙に影響を与えるはずである。

何も考えないで音符をだけを歌うのと、歌詞の世界に入り込んでイメージを以て歌うのでは、当然歌詞を発音する際の息の流れに変化が出ることは自明の理であろう。
技術的な発声の問題と、イメージという集中の方法論は、車の両輪であり、どちらかだけでどうにかなるものはない、と確信出来る。