レッスンノート目次

11月4日 | 11月5日 | 11月8日 | 11月10日 | 11月12日 | 11月13日 | 11月15日11月16日 | 11月18日

11月18日

ゆうこさん。次回はリハーサルなので通す稽古。ただ、発声練習で腰を使うことを教えたらすごくうまく行った。腰を踏み場にして、声を出すこと。今までの高い声域でやや抜けてしまう声が当たるようになった。今まで教えてきてやっと出来たか?とも思うが、何度やっても、どんなに教えても出来ない時は出来ないものだ。時が実ると言う言い方があるが正にその通り。手取り足取りではなく、たった一言で一回やれば出来る時が来るのだ。

前回教えた、前に声を当てることも出来るようになり、全体に声にしっかり感が出てきた。それに、歌い込めば歌い込む程、声とリズム感に乗りが出るので気持ちが良い。
本番当日のつもりで、喋ってもらったり、あるいは私が質問して答えてもらったりをシミュレーションする。とても楽しいレッスンになった。
レッスンは楽しくなければいけないと思う。

ところで、いつも自分が伴奏をしながらレッスンをするので、伴奏で声を乗せるように弾いてるつもりだ。だから、他人に伴奏をやらせて客観的に聞いていると少し不安がある。歌う本人の呼吸がうまく行ってるのだろうか?ということ。
伴奏者とソリストのアンサンブルはなかなか難しいものだ。声楽の場合は歌うものの力量によって、伴奏者の音楽の作り方が変わる。歌手を乗せてやる弾き方が出来る伴奏者はなかなかいないものだ。ただ、歌手を乗せてやることが良い音楽であるかどうか?は別かもしれない。


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11月16日

辛島君の伴奏合わせ。イタリア歌曲「ガンジスに陽は昇る」「ラルゴ」共に良かった。本番になるとテンポの設定が難しい。歌う場所を想定して今のレベルでどのくらいのことが出来るか?考えなくてはならない。
フォーレの漁夫の唄は、そういう意味でなかなか決まらなかったが要はインテンポできっちりやるのが、セオリーだ。
リディアは、これも決まらなかったが、問題はやはり呼吸が原因だ。
呼吸のコントロールがつかないので、テンポがふらふらしてしまうのだ。
逆に言えば、ブレスが短いからそれに合せてテンポアップしてしまうか、テンポが動いてしまうのだ。

他にも、O(オ)の母音が一番鼻声になりやすい。しかし彼の場合A(ア)の母音がとても良い具合だ。これは今までの私の指導のせいだと思う。同様にオの母音の作りに時間がまだ費やされていない。そしてフランス語になるとまだまだ問題は多い。特に狭い母音の処理だ。狭いエ、語尾のあいまい母音。

これらの母音は、理屈ではなく、言葉が音として生成されていく時に人間が必然的に起こす要素・・発音の退化傾向だったりする。
フランス語といえども、基本は開口母音である。特に歌の場合はこれを大事にしなくてはいけない。ベゼと言う言葉をビジと発音してしまう傾向がネーティヴ以外には非常に多い。それは、発音記号を見て勉強するからだ。
発音記号と言うのは、参考にとどめておくべきである。

彼の美質は、比較的音程が良いこと。音符の扱いなどに独特の木目細かな配慮があったりすること。これらは楽器をやっていたことが、理由でもあるだろう。自分とくらべれば、そういう点で羨ましい。
あとは、リハだけだ。暗譜は大丈夫だろうか?

それにしても、純粋に音楽に集中する姿と言うのは良いものだ。ぼくは学びに来る皆の歌う姿にどれだけ励まされているか分からない。

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11月15日

今日も昼間の仕事が忙しくきつい夜のレッスンだった・・・
ともこさんは、今日は寝不足ではっきり言って声は駄目状態だった。笑
ただ、本人が分かっているしそれを承知でレッスンに来たのだから、練習したいということなのだ。本人が納得の行くように歌ってもらう。これもレッスンのある姿だ。上から下へと情報を流すのではなく、本人の時間を作ること。
子供でも大人でも人の持つ感覚は、他人には推し量れないものがある。
フランス語による発声練習をやっってみる、言葉は適当に考える。今日は例えば夢の後にの最初の言葉・・・Dans un sommeilで同度の練習をやってみる。これは、2種類の鼻母音の練習になるし、次のQue faut-il chanter?とやるのも面白い。これに音程を加えてやるのも面白い。発声とフランス語を組み合わせてやる方法は、フランス語の言葉、母音処理と、声質の訓練にはもってこいだ!これから、どんどんとやってみよう。
しかし、バルバラは素晴らしい才能の持ち主だ。L'aigle noirは素晴らしくシンプルで良い曲である。出だしの前奏がDuparcのLa vie anterieureと良く似ている。詩も力強く色に満ちており、あらためてバルバラの実力が良く分かった気がした。Si la photo est bonneはまるでサティのようだ。

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11月13日

澤田さん。ひさしぶり。今日は喉の調子も良かったが、体の使い方が今一つだった。この期に及んでは細かいことが出来ないので、歌い通すことに意を注ぐ。彼女も喉の暖まりが悪い方で、比較的長い発声練習をしないと声が出てこない。中音部がスカスカなのだ。
口の使い方、喉の使い方を中心に、声帯を合わせる訓練をする。
そもそも「フィガロの結婚」の伯爵夫人のアリアと、ケルビーノのアリアを歌うというのは前代未聞だから少々無理があるが、そこはアマチュアの楽しみだと言い訳をしておく。

ただ、声の使い方がやや荒い。高い音特に、エの母音の高音が喉を締め勝ち。イもそうだ。肺活量が多いので、あまり注意を払わなかったが、腹筋の使い方も未だ出来ていない。あごの使い方も、まだ不十分だ。
一度注意をして、直したことが間を置くとまたもとの木阿弥に戻っているとこちらも疲れるが、仕方がない。

発表会が終わってから、再びぼくのところにどれくらい来るのかわからないけど、後は本人がどれだけ進歩したいと思うか否かで、上達の具合が変わるのだろう。
ただ、上達すれば良いというものでもないところが、楽しみで音楽をやる難しさでもある。本人にしてみれば、上達よりも気分転換ということに、意を注いでいるかもしれないからである。

ところで、歌といえば音楽。音楽は才能で特別なことだと思われがちだが、あながちそうとも言いきれない。何か?というと、物事をどう処理するか?という処理能力の問題が大きく横たわっている。結論から言えば、芸術ではなく、例えば事務仕事をしたって、同じことが跳ね返ってくる。
音を丁寧に扱うこと、音符をちゃんと処理すること、それらは、技術とあいまって発揮されてくる、人間としての根本的な問題だ。
ディテールを大事にしない人はやはり、何をやってもそうなるし、その反対もそうだ。どちらが絶対的に良いとはいえない。ただ、いずれにしても、そういう性格のようなもの、子供の時から身に染付いたものはなかなか抜けないものではないかと思う。
ディテールに細かい人は、一見うまく処理するのだが、大きな発見がなかったりする。進歩が遅いのだ。大雑把な人なら、実に粗雑な音楽処理をするが、注意して本人が良く理解すると飛躍的に良くなる可能性も大きい。どちらが良いとは言えない。ただ、演奏家・・特にクラシックの場合、決められたことをきちんとこなすと、かなりな確立で音楽の実像がが良く分かるので、どちらかといえば前者のタイプが向いているかもしれないとは思う。

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11月12日

今日は、ゆうこさんとのりこさんの伴奏合わせだった。
伴奏者にしてみると、譜読み自体はそれほど難しい曲はないのだが、初心者の歌の伴奏をする…という意味で難しいのではないか?うまくやってくれるのかな?という不安があったが、大体うまく行った。
ゆうこさんものりこさんも、歌い出しの勇気!歌い出しでうまく声が出せるか?これが勝負の分かれ目だと思う。
しかし、あらためて伴奏の付いた歌を聴いて、のりこさんは本当に良くここまで歌えるようになったと思う。願わくば本番の時に、彼女の持てる力を存分に出して欲しいということだ。これは祈りに近いものがある。

ゆうこさんは、相変わらず声を前に出すこと、その際に首が動かないようにすること、要するに声の当て所をきちっとすることが出来ていなかった。
音程が上に登る際に、音を逃がしてしまうのだ。これを今日は矯正したら、うまく行った、本人も分かったようだった。
2人とも、伴奏合わせに関しては問題なくいったので、リハーサルでどれだけ力が出せるかで本番の予想がつくだろう。ぼくとしても一応先が見えたので安心できた。

最後に、三村さんが来た。
彼女は、今回の発表会には出ない。しかし彼女は予想以上の実力の持ち主だ。基本的な声の出し方、声に対する趣味が確立している。何より音程が良いこと。ただ、彼女自身が自分の声に満足していない。要するにもっと強い声が望みらしい。イタリアらしい、少し太さと芯のあるしっかりした声が欲しいらしい。
現在の彼女の声は、声帯の鳴らし方が弱い。声を押さないように大事に使うことは声帯のためにも大事なことだ。
ただ、特にイタリア的な表現・・ルネサンスから伝統的にある力強さへの憧憬や偉大な高みを表現するためには、声の持つ力を最大限に発揮しなくてはならない。このために、輝き、太さ、力強さ、固さ。こういった声の質を追求していかなくてはならなくなる。

喋り声を聞いても、柔らかい声だし、これから少し厳しい訓練になる気がするが、彼女は耐えられるだろうか?また、そのために声帯を痛めるリスクもついて回るがそれは大丈夫だろうか?この辺が今後の難しいところだ。

新しい曲を持ってきた。イタリア古典歌曲集からTu mancavi a tormetarmi
この曲は彼女にはぴったりだった。中声用でやったが、低声が彼女の現在の声には少し厳しい。そこで、高声用でもやってみる。全体としては、現在の彼女の声には高声用が合っているが、曲の持つものからすると、明るすぎるし軽くなってしまうので、中声用でやることにした。
ここで、少し地声の訓練を通して声帯の使い方を学んで行きたい。



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11月10日

嵐のような一週間が終わろうとしている。後は明日の大阪から帰ればしばしゆっくり出来る。

さて、今日は初めてお目見えの大学生の亀井君が来た。
控えめで静かだが、心底から音楽を愛する若い男性のレッスンは、こちらの仕事としてもとても刺激になる。
女性や男性やらレッスンをしていると気づくのは、男性だから男性的で大雑把だったり女性だから細やかでナイーブである・・という通常考えられがちなことが実は、まったくステレオタイプな固着的な性別感覚なのだということ。
女性の方が「ばさばさ」していたり、男性の方が細やかだったりすることが実は多いのだ。笑

大学の合唱団で活躍する亀井君は、まだ2年生だが少ないテノールパートの要として頑張らねばならない立場である。
今日は、彼のからだの使い方を少し見てみた。下腹部に妙な力が入って、上腹部の特に横隔膜をコントロールする筋肉を使えなくしている傾向がある。
概して多いのだが、声を出す瞬間に下腹に上から下に向けた力のかけ方をしていることがあるのだ。確かにここに力をかけると安定するが、声の音色や音量をコントロールするための横隔膜の繊細な動きを妨げてしまうし、ブレスも短くなってしまう。これから、レッスンを続けて少しずつ矯正していかなければならないだろう。

顔の部分、あごや、声帯の部分はやや力が入っているが、それにしてもあまり無理な力の使い方はしていない。
さすがに伝統の混声合唱団だけあって、グリークラブの男性に時々見られる応援団式の発声がなく、比較的柔らかく、息を回すようにして出す発声は、比較的自然な癖のないものだ。やれば伸びるだろう。それに低い声が出ないと言ってるが出ないのではなく、出さない発声をやっているだけだ。喉仏は比較的大きいしえらが張ってあごもやや大きいと思う。悪い素材ではない。
今後が楽しみだが、再び来るのだろうか?笑

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11月8日

忙しかったので一日遅れのノート…
たかはしさん。彼女は、ビジネスのために英語を勉強しているが、ここにきてフランス語の歌唱の勉強が支障になってきた。英語の読みに支障が出るのだ。
レッスンの翌日に英語の授業があるため、少なくともフランス語の読み方に拘泥し過ぎると、翌日の英語の授業で英語の読みを間違ってしまうということ。

このことがあって、あらためてレッスンの在り方、発表会への取り組みについて考えることが出来た。そもそもなんのために、レッスンを受けているのか?もちろんあるレベルで技術的な上達を得ることも目的の一つだが、やはり楽しく歌いたい、人前で稚拙かもしれないとしても自分が好きな歌を人に聴いてもらいたい、披露したいという要求が第一なのだ。

この要求のために、指導者は手を貸さなければならない。
あらかじめ規定されたイメージに相手をあてはめよう、鋳型に流し込もうとするのは間違いである。例えば、音大を受ける、とかコンクールを受けるなどというはっきりと決まった技術的要求に対してだけ、上記のやりかたはある程度応用できるだろう。

ぼくたち指導者はややもすると、いやどうしても妙なプロ意識が出て、決められた時間内に、問題点を見つけ出し、その対処療法を見付け出し、直そうとする。矯正することに意を注ぐ。

だから、発表会が近づくと、焦る。自分が教えた時間、注ぎ込んだエネルギーをなんとか回収しなければいけないと思うのだ。これは間違いである。
レッスンを受けに来る人たちは我々のモルモットではないのだ。
人それぞれ能力に差があるし、キャラクターやモチヴェーションも違う。ただ、分かっていることは、何がしか理由があってレッスンに来ていること。それらを良く見極め、彼女、彼らが望んでいることは、何なのか?良く見極めなければならない。

少しだけ汗をかく楽しい発表会にしたい、と思う。

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11月5日

三村さん。声を強くすること。元来柔らかく良いピッチで出すことをある程度会得しているので、今は積極的に声帯を合わせて、前に出る声を作る。
別に難しいことではなく、単純に声帯をしっかり使って声を出すことだ。
ただ、声帯の使い方で声帯を痛めやすくするので注意が必要である。

声のアタック(出し始め)はとても大事である。これを誤ると音程も悪くなるし、声質も悪くなる。正しい姿勢、首の形、あごの具合、などなど重要な要素になる。一般に声帯が合いやすい母音がある。イとかエである。この母音で声を作り、そこからアやオなどの母音に移行していく。

それから、当てる場所だが、声域によっても微妙に変わっていく。
低い声は、喉頭よりも下の首の付け根などから、高くなるに連れて前歯の後ろに当てたり、鼻梁に向けたり、また、口の開きも重要である。
開かない方が、声帯が合いやすいし、開くと声帯が開く。
これらの要素を音を頼りに、作り上げていく。
なかなか忍耐の要る作業である。

こんな具合で発声だけですぐに30分は経ってしまう。
曲は、イタリア古典歌曲集だが今日から全部高声用でやる。ここに来たばかりの頃に比べて随分声に輝きが増したし良い意味で太い響きがついてきたと思う。多分合唱でこの声を使うと少し邪魔になるだろう。
声を作る。このことは、特にソロボーカルの場合、大事なことである。
それにしても、毎回、良い体調、状態でレッスンに来ようとしているところが、彼女の並々ならぬ心がけだと思う。あとは、回を重ねれば、どんどん上達するだろう。

典子さん。
今日はどうも調子が今一つだった。敏感に反応して来るものが今日は少なかった気がする。人間というのはデリケートなものだ。少しのことで微妙に変わる。歌というのは、すごく感覚的なもので、心の中にシャッターが下りてしまうと何をしてもうまく行かない。
でも、生身の人間だ。調子の悪い時もあれば、良い時もある。大事なことは調子が悪くても、それなりの成果を出さなくてはいけないということ。それは、プロであれアマであれ、同じ事だ。特に発表会を控えた今、そのことが一番大事なことになってくる。彼女には、そんな悪い状況で結果を出すための「テクニック」を学んで欲しいと思う。
とにかく反射神経のように、身体を使えるようになって欲しい。
特に腹筋、あごを開くこと。声の方向性を定めること、それらすべてを効率よく行うための集中力の持ち方。

それにしても、地声で発声練習をすると、ずいぶん声が出るようになったことに気づく。彼女の場合これまでに何も基礎がないこと、特にクラシックに対する趣味があったわけではないことを考えると、良くここまで声を出せるようになったと思う。
イタリア古典歌曲集ですら4曲歌えるようになった。

これからの課題は、声を出せるようになったら、次は良い声とは何だろう?
こういうのが、良い声だ!良い声を出そう!という感覚を磨くことだろう。
簡単なことは、CDなどを聞いても良い。一番薦めたいのが、コンサートに行って聞くことだ。CDだときれい過ぎるし、響きがのっぺりしてしまうので実在感に乏しい。やはり、生の本当の声の美しさとはどういう物か?を体感して欲しいものだ。
多分、その辺りの経験がまだまだ少ないのだろう。発声練習にせよ、歌にせよ、そういう音楽の美の世界に入っていくのに時間がかかるようだ。
我々が扱っている世界は、美の世界、美しいものを創りあげる行為だということを分かって欲しい。

アマリッリでは、最初の声の出だしでしっかりとエネルギーを上に向かって使うこと。具体的には、腹筋を使うこと、息を上に向けて流し出してやること。それを導き出すために口をしっかり開くこと。今の状態の場合、どの曲もそのことが大事なことになる。
私を死なせて…でもまったく同じ事。
カロミオベンの出だしもまったく同じ事。いずれにせよ、出だしの集中力と勇気だろう。

これらすべての曲が、うまく行く時には彼女の経験に見合わないくらい美しく歌える感性を彼女は持っている。毎日少しずつやれば、一週間で、見違えるほどになるのは目に見えているのだが、現実はそうも行かない。練習時間をたくさん持たせてやれないのが、こちらとしては残念である。
これは、彼女に限らず他の人達もみなそうだ。


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11月4日

久しぶりのレッスン。裕子さん。
彼女はほとんど皆勤賞である。休む時はしっかり休み、やる時は頑張る。こういうことが、きちっと出来る人は大人である。自分の考えと、スケジュールをきちんと管理する。こんなことだけでも一年間続けるのはなかなか難しいものである。
人間は基本的に怠け者である。ぼくもそうだ。そういうことを分かったうえで計画的に、勉強を続けることが出来る者だけに「上達」という勲章が与えられるのだ。でも、彼らがプロになるわけではないとしたら何のために上達するのだろう?
さて、難しいことだが、上達の裏側には「自信」という裏打ちが出来る。そうするとその自信が人間を中から光らせることになる。輝く人たちには、そういった「自信」がみなぎっているのだ。
誰だって、たった一度の人生なら、何かをきっかけに輝かしい思いと自信を持って生きたいものではないですか。

この一年間彼女は頑張ったが、まだ「上達」への道のりは遠い。
ブレスが足りないことと高い声が前に出ないこと、引っ込んでしまうこの二つが課題となって残っている。ブレスをコントロール出来ないので、勢い高い声を出すことが、恐いのだろう。
課題は、ブレス。腹筋の使い方。ただ一つ。これが会得できれば、たちどころに上達の域に行けるのだが・・・こちら側の教え方も色々考えさせられる。

本番の時にどれだけ、しっかり声を出せるか?緊張や自分の中から沸き上がる圧力に抗して、しっかりと歌い込むことが出来るか?今はそれだけが挑戦である。上記の課題を克服できると、この本番時の問題も克服できるのだ。

フランスのロマンスからベルジュレット」4曲。この4曲はとても良くなった。
暗譜もかなり出来上がっている。音楽が持っている雰囲気が、彼女のキャラにピッタリなのだ。フランス語も初挑戦だったが、充分にこなしている。

モーツアルトのスザンナのアリア。これは、ぎりぎりブレスの問題が残るし、高い声の輝き、音程、強さ、そして中音部も、無難にこなしているが、もう一つ響きを意識して欲しい。喉が強いので、喉で歌っても意外と不愉快な閉り感がないし、良い声質を持っているのでそれなりにこなしてしまうのだ。
とにかく、発表会では怖がらずに自信を見せて欲しい。

辛島君。
彼も成長著しい。音大への編入を考えているからそれだけ、切実でもあるだろう。毎回、来る度に何がしか教えたことの成果を身につけてやってくる。
教える方にしてみれば、ありがたいことだ。

現在ぐんぐん良くなっているが、課題は声を身体、特に鼻周辺に集めてレガートに処理をしようとする悪い癖が、まだ残っていること。
ちょっと味方を替えれば甘い幼さのある声として「魅力」にもなりかねないが
マイクを使わずに、地声で歌うヨーロッパの声による芸術を扱うためには、あまり喜べない状態である。

端的に言って、バリトンの声域であるならば一般論的に「男らしい」しっかりとした声を作ることが重要だからである。
ぼくが今彼に課していることは、多少雑になっても、胸声をしっかり作り声を放り投げるくらいの力を歌に出す、ということである。
小細工した小奇麗な歌は、捨ててもらいたい。
大きなフレーズ感、男らしい声。この二つをまず身につけてもらいたい。

そんな観点から、フランス歌曲2曲。リディアは、♭一つであるが、Fの音を中心に胸声の声区から、C以上の声にきれいに音程感をもって繋げること。
彼もブレスがまだ短いが、なるべくフレーズを大事にしたリズム感を持つこと。
「漁夫の唄」も随分良くなっていた。これも悪い癖が出なければ良い。発音も大分良くなっていた。狭い母音の扱い方が、まだ厳しいがそれほど気にはならない。
イタリア歌曲。ヘンデルのOmbra mai fuは、彼には未だ重い荘重な曲だがバリトンらしさ、ということだけ注意していれば大分良いだろう。狭い母音の際にどうしても鼻の方に共鳴を持って行きたがるので、そういう母音は狭くせずに開くこと。たとえば、ウの母音。開くことによってあごが下がり声を下に落すことが出来るからだ。
「ガンジスに日は昇る」これは、今の彼にははまった曲だ。今日のレッスンで前回よりも更に男らしく、しっかりとした風格になってきた。本番が楽しみである。

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