レッスンノート

きのうは合唱の日だった。団員からテンポについての設定に関する質問があった。 練習段階からテンポを決めるというのは、あまり薦められない。 音楽というのは、たとえば声が楽器とすれば声の能力、キャパシティで 決まる。声の錬磨もなしでテンポを決めてしまうと、せっかくの能力を 発揮せずに本番を迎えてしまうことになる。 すべては、声である。 声の響きはどうか?このことのためにぼくは腐心している。 これが決まればあとはすべて自動的に決まる、と思って良い。 そのために、楽譜が要求していることよりも、ゆっくりと練習する こともあれば、速く練習することもある。 だから、録音で勉強するのも悪くはないが、録音で判断することは 危険だ。実際の声をライブで判断して声を調整し、そこから音楽の姿が見えてくる。 たとえば、リズムというものの実態も、響きの時間差を無視しては考えられない。 空間で響く微妙な時間差を音楽として捉えないでは、ほんとうの音楽の リズム感は作られない。録音では、その微妙なところは、まず分からない といって良いだろう。 生の声で音楽をすることの難しさは、ここにある。客観的に自分の声を 判断して、音楽を作ることがとても難しい。これが判断出来るようであれば、 一流である。 今日は、久しぶりにさぶりさんが来た。発声は相変わらず声が良く出る。 が、聞けば聞くほど喉で出している声だ、ということが分かる。 要するに喉が強いのだけど、これも長年の訓練の賜物でもあるのだろう。 あたかも、エッジの良く立った切れ味鋭い刃物のようでもある。 だが、実は刃先が良く研がれているのではなく、刃先は丸いのだが 刀身の重さで断ち切る。。というような感じの声だ。 声は難しい。これは、声が意識下で出されているように思えて実は かなりの部分無意識で出す種類のものだからだ。 喉を使う神経は、人間の癖の中でも相当癖が大手を振っている部分だ、 と、ぼくは経験上思う。 彼に言ってるのは、喉の位置、軟口蓋の上がり。要するに開いた状態 で声を出すということ。 このために、喉の位置が上がり過ぎないように、あるいは、軟口蓋を 上げるように、ということを口を酸っぱくして言っている。 これらの発声の基礎は、別にオペラを歌うような声量を重視することに関わらず基本である。なぜかといえば、ちっぽけな声帯を使って声 を響かせるためにはとても効率が良いからである。効率が良いと言うことは、喉を痛めないという ことにもつながっている。 以前もさぶりさんとのレッスンの会話で書いたけども、もしこの発声で 感じられる声が自然ではないとしても、一つは、勉強過程では、やや 大げさに感じてやらないと、体が分からないということがある。 響かせ方の基本が分かれば、自然な歌唱は絶対に身に付くのである。 つげさん。今日は発声だけでレッスン。30分。 とにかく、呼気が弱い。体のせいもあるけど、それだけではない 日常の習慣もあるだろう。声と言うのは、ただの機械の音ではない。 人間の感情の発露としての、声、と思えば、呼気が弱いということが どういうことを意味するか、分かってもらえると思う。 声帯周囲筋が弱っている=使っていない…ということもある。 理屈はともかく、腹筋で息をしっかり吐くことに留意してほしい。 腹筋だけど、側腹をひろげるようにするのが分かり易いだろう。 声を出す力の支えを感じられるからだ。 特に低い声には有効だ。 ただ、これだけがお腹の使い方だとは思わないでほしい。 分かり易いことから始めて、声が出るようになったら徐々に応用篇に 行くと思ってほしい。 今日も、30分だけど、最後の頃はかなり声が出るようになった。 前回教えた声のポジションも分かるようになっている。 特に高音が驚くほど響くようになった。 習い性になるまで、しばらく続けてほしい。




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