レッスンノート

さぶりさん 発声練習の声は、声帯の線端がぴりぴりと輝くなかなか妙味のある 彼らしい声だったが、ポジションは高い声であった。 それでも、それなりに低音に降りていったが、途中Gくらいから 何を思ったか、突然喉を開いたため、声がスカスカになり 響かなくなった。 閉める発声では、途中で開いたら駄目である。 どちらでも良いから、徹底した方が良いだろう。 高音は大分楽になったが、逆に声がやや引っ込み気味である。 個人的には、バスの最高音がそれほど前に響く必要はないと 思っている。これを得ようとすれば、今度は最低音が出し辛くなる。 どちらを取るかであろう。 曲は、ビクトリアの宗教曲。Agnus dei 個人的には声の質が気に入らなかったが、 これも私個人の嗜好なのであまり押し付けるわけにもいかない。 出だしのAgnusのアの母音の出方、響きの質。 浅くて、落ち着きのない響き。 この曲は、激しい性質ではないだろう。 聖体拝領を前にした、平和な気分に満ちた、あるいは哀れみの 心を表した、どちからといえば、穏やかな表現が核になっているものである。 バスらしい落ち着いた柔らかな発声を心がけて欲しかった。 全体に、拙速で落ち着きのない音楽だった。 彼の長所は俊敏で勢いのある発声といえるが、課題は柔らかい 落ち着いた声、音楽だろう。発声面で、そういう部分を探してほしい と思った。 音楽、特に宗教音楽は切れ味の鋭さだけではなく、優しさ、とか、謙虚さ、 冥想的な雰囲気など、要求されてくる、特にルネサンス期の宗教音楽は 大事だと思う、声の可能性をもっと広く認めることで、音楽も広い大きな 音楽になるのではないだろうか?? いとうさん 彼も今日の発声は違っていた。 前回の開いた発声は、声質が問題だったのだろう。 ということで、口を結んで閉じた発声で彼は必死に声を出していた。 喉は下がらないから、軽くおでこに当てようとする声だった。 確かに声帯は当たる傾向にある。 息を下に、、と言っていたが、要するに身体全体で声のポジションを 下げる目的があるのだろう。 良いのではないか。 彼に気を付けて欲しいのは、声そのものだけに注意が向いて 音楽が成立しない声を出し続けてしまうことにならないように、、 ということである。 これは、声を使ってフレーズをどう処理するか?ということ。 入った息は、声にあるいは音楽にどのように参加するのか? 息遣いを忘れないで欲しい。




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