レッスンノート

さぶりさん 発声の声はコンパクトで程よい声であった。 もう少し重い声でも良いとは思うが、あまり重くすると、 彼の持ち味が失われるのかな、という気もする。 高音は、やはり無理がある。やはり1点Dが今の彼の出し方では 限度だろう。 これは声帯の合わせ方の問題という気がする。 開き方、、というと、悪い方に考えられるからそういうのだ。 曲はゴスペル版ハレルヤ、、というようなもの。 高音の出し方が、、と言っていた。 C♯辺りの声のことだけど、Mpくらいの場合は、あまり 重くせず良いと思うが、やや喉が高くゆるい感じがある。 もうちょっと低く安定した当て方の方が良い。 逆にバスパートがメロディーになる部分、 The lord of god omnipotentreneth の件は、ポジションガ高過ぎる と思った。特に音程が上に上がるLordの響きに顕著である。 次のNo longer babyは、Soで始る声の響きがやはり高いなという気が するが、まあ良いと思う。 低い方の響きは良いと思った。むしろ、低音から4度上がるような 時、上の音の方の響きが上ずり易い傾向にあると思う。 最後の方のフォルテでKingのイによる、低音は、響きを支え過ぎて 音程が上ずる。前に出そうとし過ぎると音程が上ずり、ハーモニーに 埋もれてしまうだろう。音量や響きを強く出すよりも、音程を正確に 上ずらないように。ベースの最低音域は、きちんと出す方が結局良い と思う。声帯そのものに集中し、お腹は楽にして、良い意味での脱力が 必要だ。ただし、当て過ぎて息の流れがなくなってしまわないように。 いとうさん 発声を聞いていると、体を脱力しているようだ。 特に高音に行くにしたがって、腑抜けたような声になっている。 ただ、意図があるようなので黙っていた。 案の定、脱力することが目的なのであった。 声を出す時に脱力するのは、無駄な力を入れないと言う意味で 体の力をすべて抜くと言うことではない、、、ことくらいは 本人もわかっているだろう。 ピッチャーが速急を投げる際に、腕自体は脱力しているが 腰の力を最大限、肩の振りに乗せるのと同じ事である。 腰まで腑抜けてしまっては、それはただの腑抜けた声だと思う。 実際にビクトリアの歌を歌ってもらうと、脱力によって 言葉を歌うという姿勢そのものまでが無くなってしまい 何だか情けないことになっていた。 これは違うだろう! ぼくたちは、歌声機械のような片輪になって歌を歌うのではないよ。 一人前の社会的な人間として、過去の偉大な作者が精魂傾けて作った 大切な作品と対峙し、その意味を良く理解し、大切に表現しなければ いけないと思う。 そうやって歌えば、発声がなんだろうが、まずは人から受け入れて もらえるものだ。ぼくはそう思っている。 そこまで言うのはぼくの仕事ではないかもしれないが こと、作品を歌うのであれば、これは黙ってはいられない。 発声練習ではないのである。まして、宗教曲である。 と、ここまで書いていて思ったのは、ぼくはやはり ボイストレーナーだったのかな?という懐疑である。 相手がボイトレなら、何も考えずに発声だけ考えてれば 発声の不備を指摘してもらってそれで終わりとなる、、のだろうか? 歌ってそんなものかな? 歌と言うのは難しい。ボイストレーナーと言うが ボイスマッサージャーの役割もあるのかな? と彼の歌う歌を聴いて情けなく思ったりした。(苦笑) ということで、歌い直してもらうと、良くなっていた。 要するに言葉の扱いがどこかにすっ飛んでしまっているのだ。 言葉は大事である。 歌う音楽に書かれてあることは、そこにある言葉と密接な関係がある。 彼の場合、もちろん発声の基礎は大事な事だが、もう一つ 歌と言葉の関係をもっともっと考えてもらいたいと思う。




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