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牧神の午後への前奏曲その2・・・(作品の持つコンセプト)

この曲が、どうしてこういう曲なの?といえば、この曲の最初のコンセプトが性格を形作ったと言えるでしょう。元来がこの曲は題名の通り、単体で成り立つように作られていないのです。前奏曲、間奏曲そして終曲という3部構成でした。それに、詩の朗読や舞踊をも加えた総合的な舞台音楽を考えていたようです。この曲は完成後、すぐに高い評価を得ました。イマジネーションを与えた、同名の詩の作者、ステファヌ・マラルメもドビュッシーへの賛辞を贈った中で、この曲のおかげで自分の作品に何も付け加える必要がない、とまで言わしめています。また、同時代の作曲家ラヴェルも、空前絶後の傑作、と誉めたたえたそうです。
ドビュッシーは後年「ペレアスとメリザンド」というオペラを作りましたし、また不評に終わりましたが「聖セバスチャンの殉教」という劇音楽、そしてバレー音楽「遊戯」、また未完成でしたが、シェークスピアの台本による「アッシャー家の崩壊」というオペラ作品にまで手を染めています。彼は音楽を、ドイツ的「純音楽」という性格よりも、何がしか具体性のある性格を持たせる方が、得意だった、あるいは創作意欲が沸いたのではないか、と思っています。
通常、それまでの伝統的なスタイルの交響曲の場合、作品名として交響曲第何番何調…などのようなスタイルを取るのが通常でしたが、彼の作品にはそのようなものが一つもない、ということがそれを物語っていると思います。これは、あるいは伝統的な形式に対する反発という言い方も、音楽史的には言えるかと思いますが、そういう見方よりも、彼自身が音楽に対してドビュッシーの音楽感を大事にしただけだ、という見方の方が、より納得できると思います。
確かに、彼の書法は当時物議をかもしたり、音楽院時代にも先生から赤点をもらう理由になっていました。ただ、彼は、伝統や世間に反発するために、自身の語法を編み出したのではなく、自身のイメージに忠実に書いただけ、、なのでしょう。

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