骨董品

私はしばしばクラシック音楽を骨董品と呼びたくなるときがあります。
それは良い意味で、です。

今ならヴィンテージなどという呼びかたもあります。
物のヴィンテージに関していえば、私の場合は車好きで特に1940年代のアルファロメオ6C2500に憧れています。

宝くじに当たっても新品のポルシェやフェラーリなど欲しいとは思いません。
誰が何と言おうとも1940年代のアルファロメオが良いのです。

なぜか?
美しいからです。
しかしながら、乗るとボロボロだと思いますが(笑)

古い美術品の売値を見てください。
物によってはとても高額な値段で取引されています。
なぜでしょうか?

それは、需給のアンバランスによる価格高騰というよりも、芸術品としての価値が認められているからです。
現代ではもう作りえない職人芸や美的センスが表現されているからではないでしょうか?
テレビのお宝鑑定団の骨董商が「いい仕事してますね~!」と、いつも言ってるじゃないですか?

私がクラシック音楽を骨董品だと言いたくなる理由はここにあります。
もう現代では得られない価値なのです。
スマホやPCやネットがない時代の仕事でしょう。

しかしながら骨董品とはいえ安いものから高いものまであるように、クラシック音楽もその価値は幅広く存在します。
クラシック音楽だから高級なのではありません。骨董品だからといって何でも値段が高いわけではないように。
骨董といっても本物もあれば偽造品もあります。

音楽の場合は、作曲家が楽譜に残したものがありますので、これは偽装でない限りは間違いなく本物と呼べますね。
音楽は、演奏者が演奏して初めて存在するものです。

これも、演奏者が〇×だと音楽も〇×になりかねません。
作品が本物になるかならないか?の違いは、ひとえに演奏者の手に委ねられていると言っても過言ではないでしょう。
紙媒体の音楽作品の価値には無限の可能性がありますが、演奏者の資質によって良くも悪くもなる骨董品なのです。