レッスンを何年もやっていれば、その人が何を考えているか?まともに受け止めているか?
受け流しているか?というのは、実はわかります。
しかし、それはあくまで直観というもので、確たる証拠があるわけではありません。

人間関係の基本は、誠実であること、と言われます。
しかし、現実は、言葉にしなければ何も起こらないので、大人になると何も言わずに黙っていればそれまでのこと、になるわけです。

しかし、やはりそれらのことは、経験者には直観でわかる。
そういうことが、音楽を長くやっている者には、余計にわかるものです。
本来、音楽というものが、そういう形而上的(精神的、内面的)な側面が強いからです。

音楽を鑑賞していて、何かを確かに判った、と感じることは、音楽の抽象性の中に確かな感情の軌跡のようなものを感じるからでしょう。

また、そういうことを信じている経験があるから、感動も出来るわけではないですか?
逆に言えば、そういうことを信じるものがない人が、音楽に感動するのでしょうか?

従って、対人関係でも同じような、信頼関係というものが成り立ったうえで、レッスンが行われないと、本当の意味での進歩はとても叶うものではありません。

技術というのは、物の売り買いみたいに、バナナやリンゴをお金を払って手に入れるようなモノではないです。
音楽の技術は、いわば心そのものですから、精神誠意込めて教えないと、相手に伝わらないと思って教えています。
上手くなるかならないか?の違いとは、師弟関係のどちらかが悪い、ということではなく、何かお互いの心の受け渡しの中に、上手く行ってないものがあるのではないか?
と考えています。

心を閉ざす、という言葉がありますが、表面的には社交的でおしゃべりも上手だけど、実は心を閉ざしている、という人がいます。
要するに、相手の言うことをうんうんとうなずいて聴いているけど、本当は心で受け止めていない。
こういうことが、音楽の心を持つか持たないか?ということに関わるのだと思います。