Uno70SLリヤハッチのロゴマーク
このところ車に乗るたび、後方から異音が聞こえる気がしていた。
今日改めて異音に耳を傾けると、どうもスピードをある程度出したときに目立つようだった。
排気マフラーかエキゾーストパイプに穴が開いていることに気づいた。

連想したのが18~9歳の頃、10万円で買った中古車のことだ。
買ったときからマフラーに小さな穴が開いていて、乗るとブォ~ンと勇ましい音がした。

思い出した途端に何だかこの異音が楽しくなった。
音が18歳の頃を思い出させてくれたからだ。

あの頃、免許を取って車に乗ればどこへでも行ける気がした。
きっと心が解放されたのだ。
思い起こせば小学校の自転車に始まり、高校の原付バイクそして18歳になったときの車である。
乗り物はいつも自分を解放してくれるための大切なツールだった。

残念だったのは、16歳で大型バイクの免許取得を逃したこと。
高校に入ったとき、周りの同級生たち何人かナナハンを乗り回していた。
自分は早生まれだったせいで、交通法改正の狭間ギリギリで大型免許を取らなければナナハンの免許が取れなくなったのである。
つまり、4月~12月生まれまでは、90CCの小さなクラッチのないカブで試験に受かれば大型バイクの免許が取れていたのだ。

大型免許を取ろうと思ったが親に大反対され断念した。
実際はバイクも高かったのだ。
そのせいか?いまでもたまにこの大型バイクに乗る夢を見ることがある。

高校時代で思い出したのが、横浜の関内でフレンチのオーナーシェフをやっているらしい高校一年時の同級生K君。
当時カワサキの俗称ダブワンと呼ばれた650CCの大型バイクに乗っていて、確か高3のときはヤマハのXS650に乗っていたと思う。

学校の裏手にあった住宅街の道端にバイクを置いて、学校が終わると一目散にバイクの元に駆け付け、セルモーターを使わず足のキックバックでエンジンをかければドドドドド~!という爆音がした。
それは目が眩むほど羨ましい光景だった。

高校2年から同クラスだったM君は、少し小型のヤマハDT250という2ストロークエンジンのバイクに乗って学校に来ていた。
エンジン音は2ストローク特有のパラパラパラ~ンという乾いた甲高い音がしたものだった。
これは悪路を走るタイプのバイクだったので、なかなかワイルドで良かった。
ときどき後部座席に乗せてもらったのが懐かしい思い出だ。

だがこのM君、数年前に肺癌であの世に行ってしまった。
何度か同窓会もあったのだが、彼とじっくり話す機会を持たなかったことが何とも悔やまれる。

若いころの思い出に浸った後、ひしひしと老いの孤独を実感させてくれた車の異音であった。