おんがくのえんそうというのはがくふにかいてあるおんがくげんごをりかいしてどのようにろうどくできるかということばにつきるとおもうのですろうどくしゃがかわるとまるでちがういめーじになるか・・・・

この平仮名だけの文章を棒読みしても、何を言ってるか分からないし、読んでも良く判らないと思います。
これが例えば音符だけの状態とすると、句読点や読点がフレーズの切れ目とします。

そうすると、言葉にはアクセントがありそのつながりが文節の抑揚として読まないと、聴いている人が良く判らない朗読になります。
この、アクセントや抑揚がアーティキュレーションと呼ばれるものです。

これを演奏者が解りやすく理解するために、強弱記号やアクセント記号を書いていると思います。
そして、作曲家が望む速度も書いてありますね。。

そして、楽譜に書いていないが、アーティキュレーションの重要な要素として、音程の上昇下降時の速度の変化とか、和音の変化による強弱のニュアンスです。
端的にいえば、緊張と弛緩という概念を、どう解らせるか?

ただ無意識に演奏すると、この緊張と弛緩、あるいは緩和という対立する要素が、良く判らない平面的になってしまい勝ちなのです。

問題は、歌でも楽器でも同じですが、音楽の緊張を表現するときに、力みすぎて身体が緊張してしまうのです。

緊張しすぎると、筋肉が硬くなり過ぎて、声も音も硬くなり、意外なほどに響かない音になってしまいます。

楽器や歌の技術というのは、このような肉体の癖を良く察知して、音楽表現とのすり合わせをする必要があります。

このために、普段から軽く発声練習をやったり、あるいはピアノならハノンを弾いて、指のうごきや腕、身体のバランスを考えて音色と指の分離など
研究するのではないでしょうか?

こうして考えると、声楽は体を楽器にすると言われますが、楽器奏者も体を通して楽器を操るわけですから、違いは発音体が肉体の外か中か?の違いであって、
肉体を操ることにおいては、まったく同じことがわかります。

プレイヤーが肉体を良く知る、大事にすることが、いかに大切か?ということが解ると思います。

そして、その肉体は心によって支配されていることも、です。
音楽は人を表すと良く言われますが、このことではないでしょうか?