発声練習では、ハミングの響きがチェンジを超えても上手く繋がっていることが彼女の進歩の証だった。
上手く繋いでいるな、という感じ。
母音にしたが、まだ声が温まっていないために、やや響きがフラットになっていたが、良い感触だったので最終的に軽い回す発声で3点Fまで出してみた。

これが3点Cを出してから上が非常に調子が良くて、軽いが息の廻った美しい響きが出せていた。
大したものである。
紛う方なきコロラチューラソプラノの資格あり!
出るだけならたくさんの人がいるが、喉で力んで出すから重くなって廻らない人が多い。
彼女の声ならまったく音楽的である。

今日はやらなかったが、後はクレッシェンド=ディミニュエンドの方法が確立すれば鬼に金棒だろう。
基本的な出口はもう間近に見えているのではないかな。
一度極高音を良く出してしまえば、2点A~bあたりの迷いのある場所も比較的すんなりと出せるようになるようだ。

彼女の得意な近代フランス歌曲やドイツリートなどの中低音は、切り替えれば良いのである。
中低音もものすごい声量の必要は無い。
中低音域を出す身体の脱力もやはり必要で、喉そのものが上がらないように(感覚的な意味で)落とすことも、結局、良い高音に繋がるわけで、出る音域の声をどこも大切にすることは彼女のような軽い声の場合は、特に有効なことなのだろう。

今日もラヴェルのシェラザードから。
フランス語の発音を主に見ていった。発音は誰が聴いてわからなくても確実にしてほしい。
それが良心的なプロの仕事である。
そして発音を確実にすることが、次の語感を発達させることに繋がってくる。
別に理屈は要らない。はっきり確実に自信を持って発音出来ることが、自然な語感を育てるから。
これは、音楽のリズムと似たようなところがある。

漠然と耳で聞き覚えたメロディを漠然と歌うよりも、音楽のスタイルを良く理解してそのリズム感、テンポ設定をはっきりとして歌うことだけで、音楽が歌が見違えるようになる。

音楽には、必ず「スタイル」というものがある。
舞曲にもたくさんの種類がある。マーチがある。マーチも緩急様々である。
譜読みをする、と言うことはそういうスタイルを嗅ぎ分ける力を身に付けること、と言っても過言ではないだろう。
これが身に着くと、はっきり言って先生要らずである。笑

語感のある歌はそういう違いがある。
また、実際に音楽のリズム感と語感のリズムとが錯綜して、歌にだけ与えられたリズム感が出てくるのである。
彼女は素晴らしい声楽の技術を持つ可能性があるからこそ、この語感をも是非手に入れて欲しいと願うのである。

こう思ったのは、声楽的には一番地味だけど美しい3曲目である。
非常に官能的なメロディであり、言葉の内面が更に表れた彼女の歌を聴いてみたいものである、と思った。

今日持って来たラヴェルの歌曲はこの他に2曲。
これが、私の知らない曲で彼女の未知の曲を探す執念にも驚かされた。
Tripatosと題された曲は、ギリシャ民謡4曲目と5強目を合体させたような曲で完全な民謡である。
トルコ民謡らしい。
「手は太陽を掴むことが出来ないよ、お医者さんはどうするかい?」
「手などは生きる目的のために作られているだろうか?、、」トラララララ~~となる。

日本にこういう民謡があるか知らないが、要するにざれ歌で、恐らく実際は最初の導入をアドリブで誰かが唱えると、続くものがアドリブで応える、というようなスタイルではないかな。
後はあ~こりゃこりゃ!!となって踊りまくるのだろう。

最後に高音が華やかに出てくるが、ここは民謡。あまり軽くするよりも、はっきりと響きを前に出した方が良いだろう。
民謡の音階特有の変化音に当るところがあるが、これははっきりとその音程感を際立たせる方が得策だ。

もう一曲Ballade de la Reine morte d’aimer
これも民謡風だが、はるかに西欧らしい。
英語歌詞よりもフランス語歌詞の方が含蓄に飛んでいて、象徴的だ。
トロヴァトーレが女王様に愛しているとつぶやいたとて、彼女の魂があまりの純粋さにその愛の魂は夜空の星に発散してて消えていく、という話というか童話みたいな歌。
テュレという国名は、ギリシャ・ローマ時代の地中海沿岸諸国の人々が世界の北端と信じた地域でだそうである。今ではアイスランドとかグリーンランドなどの地方ということになるらしい。
実際に、かなり古い時代の教会の鐘が地中から出てきたとかあるらしい。

そうやって調べてみればこの音楽の懐かしさみたいなものが、東洋的というよりもアイルランド的というかケルト的な感じにも考えられないだろうか?
素朴な声、だけど張りのある透明化のある、ビブラートのない声が適切だ。
そしてここでも素朴なリズム感を大切にしてほしい。