MT

発声練習と歌の1回目の通しくらいまでは、どこか喉が温まらないような、少し雑音交じりの声だったが、歌うにつれ調子を出して、最後の通しではほぼ文句のない仕上がりになった。
三善晃の「抒情小曲集」
最後の声の調子が上がったところから類推するに、換声点前くらいのところで鼻腔がうまく使えなかったのは、単なる喉が完調ではなかっただけのことだと思う。

ここでは細かい指示については省かせてもらう。
曲毎のテンポの設定と、曲の音楽的な解釈やイメージなどについて、ピアニストさんも交えて話し合った。

作曲家が楽譜に書いているテンポ指示というのは、あくまで指針であって、実際のピアニストが伴奏音楽を再創造するときに、どのような音にするのか?
音にして初めてテンポは決まるのであって、漠然とした機械的なテンポが決まっているわけではない。
あくまで、演奏するときに感じたように演奏するだけである。

それは歌手の歌声を聴いて決めることではないだろうか?

彼の声だが、中音域の声質として、もう少し低いポジションで腹の座った声になっても良いか?とも思ったのだが、やはりそれは彼の声の魅力ではなくむしろ軽く少年らしさの残った中性的な魅力がある方が良いのではないか?と思い直した。
そうやって最後に通してみた結果、声の調子と音楽的な調子が一致して、表現力のある演奏に達することが出来た。

MR

発声では、5点Aからのソプラクトの準換声点で突然ファルセットが強く出てしまう点を練習した。
微妙な調整なので、本人の自覚を待つしかないが、見ている限りでは喉を下げ過ぎるのと、そのために軟口蓋が意識されないこと。
結局、両方の拮抗作用のバランスということだろう。

このため、スタッカートの発声練習をやってみた。
ドミソドのオクターブのアルペジョで、最後の最高音を、鎖骨の中間の窪みに当てるように意識してもらった。
この時、当然音程も合わなければならいのだが、声が当たっても音程がはずれるのは、やはり喉と軟口蓋とのバランスの取り方が未熟という証拠ではないだろうか?

音程がはまって、かつ響きが抜けない当たった響きになるように、最高音に達する前に喉奥を広げる意識を持っておいて当てること。
この練習が自由に出来るようになると、最高音も当たった響きになるはずである。

曲での課題は、これはもう以前からずっと言い続けていることだが、口の開け方と発声時の下あごの動きの抑制である。

特に下あごの動きの抑制は、レガートに音程良く歌うという目的のために必須のテクニックなので、絶対に会得してほしい。
口の開け方は、口の両端を横に引かないこと。
なるべく縦に開けることで、品の良いイタリア語のクラシカルな声を得る効果があるので、これも必須のテクニックである。