• フランス詩を訳してみると、時としてその身も蓋もない表現に戸惑うことがあります。それは日本語に訳すからか?実際に身も蓋もないのがフランス風なのか?私は後者だと思いますが、日本に比べるとその点では修辞法は発達しているように思えます。 12:53:41, 2018-09-11
  • 例えば、以前ツイートしたアラゴンの詩「幸せな愛はない」に、「拡げた両手が十字架の影を落としている」という言い方とか「幸せを抱きしめてるつもりが、実際は粉々につぶしているのだ」などという言い方が何とも素敵だなと思うのです。暇な時間のささやかな楽しみになっています。 12:56:44, 2018-09-11
  • 音楽は言語から発達したと考えています。それは音楽そのものの発祥だけでなく、作曲においても文学性は大きなテーマになっていますから。
    歌だけでなく、器楽の方も対象作品の言語を知ると、深い作品理解に通じます。言語に通じれば文学にも興味は及ぶからです。 13:01:40, 2018-09-11
  • 合唱声についてはこれほど反響があるとは思いませんでした。
    中学生や高校生は学校という縛りの上と思うので、コンクール規準による教育的見地が強固にあるのではないかな? 15:25:48, 2018-09-11
  • 外国語を訳してみると、母国語だと通り過ぎてしまう豊かさに目が行き届く可能性があるのです。歌は言葉である、といっても過言ではないくらい。それを単一色の声で統一しすぎると、どこかよそ行きで空々しい音楽になってしまわないか? 17:22:06, 2018-09-11