宮沢賢治は、子供のころ風邪をひき寝込んだ布団の中で童話を読んだ記憶がある。
それは、確か「どんぐりと山猫」だったはずだ。

ストーリーもユーモラスで面白かったが、それ以上に楽しめたのは自然描写だった。
「たったいま出来上がったばかりのようにうるうると盛り上がった山並み・・」というようなぴたりと決まったオノマトペ。
主人公のかねたいちろうが草原を通ると、笹やぶが「あ、西さん、あ東さんといいながら・・」という独特のメタファー。

ユーモアのあふれた「かしわばやしの夜」や鹿たちの言葉を理解する幻想的な「しし踊りの始まり」線路沿いの電信柱が軍隊になって行進するシュールな夜の風景を描く「月夜のでんしんばしら」
私の想像力はこれらの童話に育んでもらったと思っている。

長じて風の又三郎や銀河鉄道の夜に親しんだ。
風の又三郎の構成はまるで古典的な交響曲のようなソナタ形式を思わせるものがあったし、銀河鉄道にいたっては、学校の風景を除けば夕に始まり夜に終わるなんとも希望のない
展開なのだが、悲劇的でありながらも独特の甘美な後味は、ワーグナーの世界や哲学に通じるものがあったと思う。

余談になるが、この「銀河鉄道の夜」の続編のようなストーリーを作った別役実の「ジョヴァンニの父への旅」の朗読をラジオドラマとしてyoutubeの動画を聞いてとても感動した。
あまりの出来の良さにどちらが宮沢賢治か?わからないくらいであった。

20歳ころのことだったか?詩集「春と修羅」の序文の冒頭にある「私という現象は、仮定された有機交流電灯の一つの青い照明です・・」
これに頭をが~んと殴られたような気がしたのが、彼の詩を読むきっかけになった。
小岩井農場という長編詩を読んだが、何が良いのか分からなかった。
だが、他の詩をいろいろ読んでいるうちに漠然と詩というものが持つ魅力が理解できるようになったのだと思う。

若い時に詩を読むことや想像力を育むことを教えてもらえたのは宮沢賢治からだったのだろう。

一般大学を退学して音大に入学しようか、という悩み多き日々、彼の「農民芸術概論」にも大きな影響を受けた。
これはかいつまんで言えば、資本を持たない労働者も芸術に親しめるし、そのことが人生を明るく照らすというようなことを書いていたと思う。
それはどちらかといえば、芸術を与えてもらうのではなく自ら行動することの中に、真の芸術的な営みが生じるというような内容である。
以下序文のもっとも重要な部分を引用しておく。
「芸術をもてあの灰色の労働を燃せ」という部分に強く共感したことが懐かしい。
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いま宗教家芸術家とは真善若くは美を独占し販るものである
われらに購ふべき力もなく 又さるものを必要とせぬ
いまやわれらは新たに正しき道を行き われらの美をば創らねばならぬ
芸術をもてあの灰色の労働を燃せ
ここにはわれら不断の潔く楽しい創造がある
都人よ 来ってわれらに交れ 世界よ 他意なきわれらを容れよ