Facebook、始めたのは2011年でしたが、どうも慣れないまま来てしまいましたが、ようやく存在意義が分かって来た気がします。

山中信のFacebook

基本は、オープンマインド(開かれた心)でしょう。
このアメリカチックな哲学は、普通の日本人には、少々うっとおしい偽善を感じなくもないですね。
私もそういう面に少々うんざりしていましたから。

しかし、よくよく考えて利用をしてみると、これは面白いツールだと思うことが多いです。
面倒なことは裏返せば面白くなる。
そのために、Facebook運用について考えたことを少し書いてみます。。。

Facebookを始めた以上、あるいは友達を申請したり受け入れたりした以上は、全員がなるべく平等になっていた方が良いでしょう。
私は、自分から申請した友達は必ず親友にしています。知り合いになっている人はよほど特殊な人だけです。

かなり細かい分別をされている方もいらっしゃるようですが、そこまでするなら、やらない方が良いのでは?と思います。
逆に自分が分類されているのが不愉快にならないでしょうか?
それから、友達分類は関係ないよただの宣伝だろう!と思うのであれば、よほどの有名人でない限りは宣伝効果はあまりないか、むしろ逆効果だと考えてます。

自分が始めた以上は、定期的なコンテンツの発信は必用だと思います。
面倒臭いならば、ある程度休んでも良いかもしれません。
長期に渡るならば、一端アカウントを停止しても良いでしょう。いつでも再開出来ます。

他人様と積極的に関わること、交わること、お互いに情報交換をすること。
そのことによる発見や気づき。
それが日々の生活をリフレッシュさせてくれるのではないでしょうか?

この場合のリフレッシュとは、風呂に入ってウィ~とうなるような気持ちの良さではなく、どちらかというと少しストレスフルかもしれません。
しかし、それが刺激になって良いのです。
自分を表現すること。
ある程度のレベルのプライバシーを出すことで他人との相互関係が増すこと。
へぇ~!~さんは、こういうことを考えていたんだ~とか、~さんはこういう生活をしていたんだ~とか。
今迄知らなかった近い人の意外な姿が判ること。
その出し具合には気を使わされますが、それも、また大人のたしなみというものではないでしょうか?

英語でGive and takeという言葉があります。
これこそ、Facebook を表現している言葉ではないでしょうか。

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