こちらのブログも久しぶりですね。
先日フランス音楽のピアノ演奏で有名なさる日本人ピアニストのリサイタルに行ってきました。

プログラムはドビュッシーの作品を中心に、メシアンとブーレーズなど、意欲的な内容でした。

前評判通り、確かにペダリングやタッチな、その音色とダイナミックの扱いにはさすが!と思わされるものがありました。
しかし、音楽的には、テンポが全体に前のめりなところが散見され、じっくり、しみじみ味わう態ではなかった気がしました。

特にドビュッシーのチェロソナタは、若手のソリストであったせいもあるのか?消化不良な演奏でやや残念でした。
ベルガマスク組曲は、ペダルの使い方のせいなのか?反響と倍音がやや煩わしい印象がありました。
しかし、プログラム最後の版画は、素晴らしかったです。これがあったので良かった、と思えるコンサートになったと思います。

全体にそつなくきれいにまとめていた。あるいは、それほど深く味合わない人なら、これこそフランス音楽!さらっとしてしつこくなくていいわ!
と思ったのではないか?という印象もありました。

しかし、この場合のフランス音楽、って何でしょうか?単なる思い込みに過ぎないのではないでしょうか?

私はかねがね思っていますが、フランスだから、ドイツだから、という国別の趣味性を謳うことより、その音楽がどう演奏されるのか?
音楽そのものが持っている可能性、を最大限活かす演奏が、良い演奏だと思っています。

だから、フランスのピアノ音楽だからフランス人ピアニストでなければいけない、とはちっとも思わない。
昔聞いた、イェルク・デムスの弾いたドビュッシーの前奏曲第一巻をコンサートで聞きましたが、本当に素晴らしかった。
明晰でダイナミックな演奏に目から鱗の思いがしました。

要するに演奏家の技量と音楽性だけが頼りなのであって、後は趣味の問題なのです。
音楽演奏に国籍は関係ない。

さて、その後はスタジオの試演会などあり、レッスンも忙しくしていましたが、余暇に見たレオ・フェレの動画があまりに良くて、ここにご紹介したいと思いました。

声楽家の演奏ではないので、声楽家が直に真似すべきことはないですが、本質的に歌うパフォーマンスとはこのようなもの、という原型があると思います。
お客さんを前に、全く自由に自分の思いや表現を出せている。
演技、ということと歌うこととのバランスにおいて、ステージというものの意味を非常に良く理解している感じです。

なかなか出来ることではないです。多くのライブ経験と精進の成果でしょう。