ドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」あまり上演されないですが、近年上演されたものを、つい最近、youtubeで見ましたが、ペレアスが想像以上にマッチョな声だし、メリザンドも血色が良過ぎて、どうも自分のイメージに合わなかったです。いやマッチョが悪いわけではなく、柔らかで繊細な雰囲気のテノールにもやっててほしいと思います。

往年のロス・アンヘレスのメリザンドを聞いても、カミーユ・モラーヌジャック・ジャンセンの声を聞いても、その意を強くします。

もっと優しくて夢のような雰囲気を出していたはずなのですが・・・・
特にこの「ペレアスとメリザンド」は、ドビュッシーが思い入れた、無国籍風、無名風、ものごとを半分まで言って、あとはぼやかす・・というような、あいまいで繊細な夢のような雰囲気を大事にしていたと思うのです。

オペラの世界でも発声のグローバル化が進んでいるのでしょうか?
そうだとすれば、作品が本来持っていたローカルな良さをつぶしてしまわないか?
ローカルであることが、本当は普遍性に通じる要素なのではないか?
フランス語の美しさが生かされたオペラの発声があるのではないか?

私が見た動画では、演出においても、ちょっと違和感を感じました。
本来、作曲家が思い描いたものを、その通りにやれるならやってほしい。と思います。
台本が持っている、場面の演出は、時代が違うと笑われてしまうのでしょうか?それでも良いじゃないですか?

そういう時代だったのだ、と認識出来ればそれもよいのです。
あるいは、費用の節約という面もあったのかもしれませんが、クラシック音楽の演奏は、その時代性が明解にある、という条件は必要だと思っています。

そういったことが、現代のオペラ興行において難しいのなら、せめて、声だけでもPAを利用しても良いのではないか?と考えます。
そのほうがよほど、純粋な作品主義に通じると思いますし、最近流行りの「現代テクノロジーと伝統のコラボレーション!」といえるのではないでしょうか?