KY

発声練習では、ハミングで始めて、母音に変換。
風邪らしいが、高音のチェンジ近辺の通過が良くなった印象。
2点Fくらいで、喉がひっかかっていたところが、滑らかに高音区に入れるようになった。
そのことは、発声だけではなく、実際の歌にも反映されていた。

イタリア古典からLe violette
おとなしく丁寧に歌っていた。きれいだし、彼女特有のメランコリーな歌の雰囲気がなかなか良かった。
あえて言えば、もう少し声量、生き生きした声の噴出が出れば理想だろうか。
そしてPiacer d’amor
こちらも、同様な印象であったが、とにかく高音のチェンジ近辺から2点Gにかけての響きが楽になったのが、最大の収穫。
歌う様子をみていても、必死で顎の力みを抑えているようである。

FaureのPie Jesuも同様。声のチェンジ近辺という意味と、中高音域の声の安定、ブレスの長さなど、以前は課題となっていた点は
ほぼクリア出来ていると感じた。

モーツアルトRidente la calmaも、高音発声を見たかった。
こちらでも、チェンジ近辺はほぼ問題なし。以前は、IやEの母音による、2点Fなどは、苦手中の苦手だったが、かなり意識して克服していたのが印象的。
後は、最高音2点Aに昇るフレーズ。繰り返し出てくる高音への上昇フレーズの短いブレスがこれからの課題になるのだろう。

GH

発声では、下顎を使わない発声を徹底練習した。
本人は使っていないつもりでも、まだがくがく動く。
くれぐれも勘違いしてほしくないのは、動かしてはいけない、のではなく、動かさない発声をすることで
必要な機能を開発、訓練するためである、ということ。

下顎を使わないことで、軟口蓋を良く上げる(開ける)ことの開発を促進させる。
慣れるまでは、なるべく鏡など見ても良いから、徹底して使わない方法で練習してみてほしい。

イタリア古典から、Caro mio ben
この出だしのCaroだけで、何度もやり直した。
これも典型だが、軟口蓋が上がって、響きが上に乗っていれば、それにプラスして胸の共鳴を付けられれば、更に深みのある
バリトンの声になるだろう。
それを勘違いして、下の声だけにすると、吠え声になるから、要注意、なのである。

シューベルトの「冬の旅」から「凍結」
これも、ほとんどが母音Aの扱い方に終始した。そしてそのほとんどが、響きが♭になるか、喉で押してしまうためである。
歌詞を発音する母音や子音の連なりの中で、Aが出て来た時に、その前の母音の関係から下あごを動かさないで、Aを発音しよう、と努力してほしい。
そのことで、軟口蓋が上がるようになるはずだし、また、歌詞発声の流れもレガートになることが判ると思う。

TF

発声練習では、ハミングから始めたのだが、中低音域の音程がまだ♭傾向になるようである。
出ている感じがするのが、すでにかなり顔が前に出て、喉で鳴らす感じが出てしまうのが原因だろうか。
要するに、喉頭を引き下げて声帯を伸ばして出す、という回路だが、それが舌根を使ってやるためだろう。
後ろ側が引き上げられていない状態に思える。

顔を出さない、顎を引く、という意味は、この喉から舌根で発声をする回路ではなく、後頭部から軟口蓋を引き上げる回路を作ることで
声帯の後ろ側(首側)を
それから、今日も指摘して、今までも何度も指摘したこととして、母音Aを発声する時の口の作り方の癖である。
口全体を唇ですぼめようとする力、あるいは唇を前に突き出す力、がどのようはフレーズの時でも、Aの母音が出ると必ず出てくる癖である。
このこと自体の意味はあるのだが、彼女の場合はそれがすべて悪い方向に使われてしまっている。

結果的には、母音の形はどうでもよく、問題は響きの質、あるいは響き方が問題なのだということを判ってもらいたい。
逆にいえば、どのようなフレーズ、どのような母音の並びであっても、Aの母音に関しては少なくとも形で作らずに、響きの質で判断してほしいということ。

今日もバッハ、カンタータ199番、そしてヘンデルPiangero la mia sorteを良く練習した。
いずれも同じテーマになるが、低音は、ポジションを上げないで、きちんと出そうとすること、そのポジションを意識することである。
その上で、上述の発声の注意、特に下あごの使い方、A母音の発音の注意を守れば、良いと思う。

FA

発声はハミングから母音に変換して、上向、下降取り交ぜ、声を温める程度に練習した。

曲はドビュッシー「ビリティスの3つの唄」を練習。
1曲目は、前回と同様で、声が安定しないことと、歌詞発音が不明瞭になること。
両者は、関連したことだと思う。

基本的に喉が高く、そのため不安定、という印象になる。
喉のことは、今までも何度か指示したが、恐らく根本的にブレスが未完成だと思う。
下腹部の支えと胸の開きをしっかりさせて、お腹でブレスすることで、自然に喉が下がるポイントを見つけることにある。
喉の深さを喉で作らないこと。

後は発音と声の関係で、自然に喉のポジションも決まるであろう。
深みのあることを言っていれば、自ずと喉は高くはならないはず、なのである。
この曲集は、音域が低いのだが、それは、言っている内容自体が声高に言うようなことではない、からであろう。
歌、というよりも、音楽つきの朗読、という印象がある。
そのようなな中にも、劇的な要素が織り込まれていて、そこが、ドビュッシーらしい素晴らしさを象徴しているような曲集である。

今回の練習としては、声のことは言わず、前回に続き、再び朗読を徹底した。

2曲目は逆にピッチを高くすると弊害が感じられる。これも音楽の表現と関係があるのだろう。
音階も♭で構成されている。
3曲目は、低音の発声が厳しいが、バランスは良いと思う。

やはり朗読が大切だと思う。そして、ある程度内容を把握したら、日本語訳詞で朗読してみること、その調子でフランス語に翻訳してみることも必要であろう。