AS

山田耕筰=北原白秋の3曲から始めました。
声のことはほとんど指摘せず、ほとんどが歌いまわしに及んだと思います。
それくらい音楽が良く出来ていて、歌曲としての完成度が高い作品群です。

白秋の語感の活き活きとした詩に、民謡風(お座敷唄風)のメロディや歌いまわし方が、西洋の音楽語法に上手く接ぎ木されています。
ここは、その活き活きとした語感を、歌うリズムで相当誇張して構わないでしょう。
そうしないと、意図が伝わらないと思います。

1曲目AIYANの歌は、「Untereganのあんちくしょぅ!」を演技してください。
2曲目の「KETSUGURIの頭にひんちいた」のPPの声の表現も同じ意味で大事です。
以上、2曲は、ほとんど小唄、端唄の範疇なので、そういった実際の邦楽の演奏を聴くのも参考になると思います。

「曼珠沙華」は、「ごんしゃん」の「ん」を開口ハミングで歌うことです。
これが、ハミングにならないので、「ごうしゃう」と聞こえるのはおかしいです。
喉を固く下げようとし過ぎのせいでしょう。
喉は下げようとしないでということは、ここのフレーズは声をそんなに張る必要はない、と思います。

モーツアルト ケルビーノのアリアNon so piu cosa son
全体に、こちらは声量を頑張ってしまいました。
声量を抑制しながら、出すところは出す、というように練習しました。
頑張らないで歌ってください。基本は小さな声で素早いテンポで俊敏に歌う、ということです。

SM

トスティの「バラ」
一見、穴のない歌唱に感じられましたが、どこか力感が盛り上がってこない印象で、どことはいえないがもう一つ、という印象でした。
そこで、改めてイタリア語の読みを練習しますと、これがなかなか難しいのです。
イタリア語のアクセント位置を確認しながら、朗読を練習しました。
また、朗読に際しては、声を高いキーのファルセットにして練習をしました。
このファルセットをやると、実声になっても滑らかでつやのある声質になります。
やはり以前から思っていた通り、ファルセット(頭声)要素は、声の潤滑剤と感じます。

マスカーニ「友人フリッツ」から「このわずかな花を」
こちらは、彼女の低音発声の練習と、イタリア語でイタリアの歌を歌うことで嫌でも身に着く、中低音の明るい声質を狙いました。
喉を深くして発音・発声しない、ということを覚えてください。
喉を深くすると、舌根が気道をふさいでしまい、暗くこもった声になってしまうのです。
確かに低音は、喉が下がりますが、必要以上に喉を下げる必要はないです。

言葉で説明すると、低音発声で自然に下がった喉は、上がらないように姿勢で支えておいて、声の響き自体は鼻腔から上で発音するようなイメージです。

IM

発声練習を低音から上昇形のスケールで練習を始めました。
高音の換声点の通過はどうか?と思い、少しずつ高音に移行するように、慎重に発声練習を進めていきました。
結果的には、5点Gまで、音程にほぼ難を感じないで上がれるようになりました。
まだ力みはありますが、以前ほどの力みで発声が出来なくなるようなことがありません。
発声練習に関しては、特に問題を感じませんでした。
後は、積み重ねと慣れだろうということを思いました。

曲はアマリッリを練習しました。
一見、喉の問題というよりも、呼気と吸気の循環の問題に見えました。
特に歌っている時、お腹の使い方が踏ん張っているように見えましたが、それは違うようでした。
歌い出しの瞬間に、どうしても声帯が閉じず、結果的に大量の呼気を使ってしまうため、その後、少ない息で歌おうとするため、
踏んばってしまっているのではないか?と疑いました。

それで、歌い出しの練習をしました。
最初は子音のKをつけてKAKAKAと5点Eくらいの高いチェンジくらいで練習をしました。
KAKAKAと息を吐く練習をしてから、小さな声にして音程を正確に出します。

この時、教えませんでしたが、お腹は支えた状態、つまり一瞬息を止めるために腹筋で支える状態は作らなければなりません。
この状態で、声帯だけを微妙に開けてほんの少しだけ息を送るようにして、この発声をするわけです。
この支えが出来ていないのではないか?という気がします。
それから喉の状態としては、いつも言うように下あごを動かさないで練習することです。