YY

日本歌曲、
どの曲も、音域と声の関係においては無理がなく、それぞれの音楽性を充分に感じ取れるる歌声でした。

曼珠沙華は、全体に歌声の表現が悲劇的な感じが一面的で単調に感じました。
部分によってP~MPのダイナミクスが指示されている箇所は、ノンビブラートで歌うと虚無的な印象がこの曲に合うのではないでしょうか?

この曲のような、繰り返しのつながりによる曲は、単調になりやすいので、声色の違いや、
アーティキュレーションの違いに工夫することで、単調さを避けるべきでしょう。
これも、技巧を凝らした歌声披露の作品なのではなく、聴衆が、歌詞の持つ悲哀を虚無を、よく理解できる歌であることが、最終目標であるべきではないでしょうか?

中田喜直「サルビア」
これ、良く怒ってるみたいに歌っている声楽家さんが多いですが、怒ってる歌ではないですね。
むしろ、幸福感と情熱を、サルビアの赤い色に想い出す、という印象です。

歌詞をよく読むと、どういうシチュエーションで、どのように語っているか?が判ると思います。歌詞の最後に「まっかないろにふちどられて叫んだ、あのときを、もういちど思い出したいの!」となっていますから。

歌声の強弱の指示は、中田先生が思いついた語り口によるので、その程度については歌手に任せてもらってよいでしょう。
その辺りは、歌手によって、違いがあって当然ですので。
これも歌手の個性を大事にすべきでしょう。

何より、納得が行くようにイメージして歌うことが何より大事ですし、語る言葉がお客様に通じるように歌うことがもっと大事です。
その意識を持って練習して行く中で、音楽的な要素は常に大事にしましょう。
特に4拍子と3拍子の変化があることと、フレーズの終わりの切り方、イン・テンポを大事にすること。

「鐘が鳴ります」
発声もありますが、私の好みとしては、ベルカント風に声を修飾する歌い方は勧めません。
問題は、歌詞の描く世界を、お客さんがイメージ出来る歌になっているかどうか?であり、
歌手が上手いかどうか?を楽しむ歌ではないと思います。
歌手のヴィルトゥオジテを競う歌ではないのです。

滑らかな声色のライン上に、日本語の歌詞を淡々と歌い進めることが、一番大事なことではないでしょうか?

ペチカ
5番全部歌う必要はないでしょう。1番から続けて3番で終りとしました。
これも、歌声そのものよりも、ペチカを囲んだ楽しい思い出のメロディの中に、明らかに哀しみの郷愁が出ていますので、歌う者自身が持つ引き出しの中の、郷愁や悲哀の感情を良く思い出して歌ってほしいです。

それらを、聴衆にわかってもらうために、3節を続けるわけですが、1節目は楽しさを表現し、2節目でペチカが燃える部屋の外の寒さを感じ、3節目は思い出に浸って涙が出そうになる、と言う具合です。

楽しかった事を思い出すときの言い方、想いだしたことを人に語るときの調子はどんなものでしょう?
YYさんの、心の引き出しにある、郷愁の2文字を精一杯思い起こして歌うことが、大人を相手に歌うときに、役立つのではないでしょうか?