語るようにうたうことについて
久し振りにピエール・ベルナックの演奏を動画サイトで聴いた。
改めてその凄さに鳥肌が立った。
これ、詩の意味が分からないとなかなかその凄さが分からないから、日本での人気や注目が集まらないのが残念なこと。
つまり我々オリジナル作品から見た外国人にとっては、詩の言葉に理解が行かないからこそ、音楽のメロディが表現しているもの、そのものだけが音楽理解の助けとなるわけだ。
当たり前のように聞こえるが、少なくともクラシックジャンルの歌である「声楽」が抱える唯一難しい点である。日本人にとっては。
これは、単に語学を勉強すればできるというものではない。
もちろんよく勉強すれば、歌われた歌唱への理解と歌詞への理解は充分身に付くだろう。
問題は自分が歌う側に立った場合である。
ベルナック氏が歌ったパリジアーナの歌唱は何が凄いか?
それは恐らく彼がこの詩を朗読するときに、どのような声のトーンでどのように抑揚をつけたか?
ということが、そのまま歌に表現されていることにある。
ということは、そもそも朗読が表現として成り立つように出来ているか?が問われる。
名人が歌う歌曲の価値は、このように語りと歌が見事に同期していることにある。
特にフランス歌曲においては、この点が重要なポイントである。


