YY

フォーレの5つのヴェニスの歌曲から、A Climene と、C’est l’extaseから始めました。

いずれも、以前に比べると声の抑制が程よく効いて、ピッチの良い美しいメロディラインになりました。
これを覚えてもらえれば、あとはこの状態から響きを増して行くにはどうするか?という発想が生まれると思います。
そうやって、強声で歌う響きのあるべき姿を、再度探してほしいところです。
鼻母音は、少し胸に響かせる意識を持つことで、鼻母音本来の美しい語感が際立つと思います。

今後の課題は、特に開母音のAやEで、共鳴のある響きを得られると、美しいフランス語らしい芸術性のある歌唱になるでしょう。
これは、フランス流のVoix Mixteともいわれますが、声が前に出るのではなく、鼻腔の奥で共鳴する感覚です。
少しこもった響きですが、声質は明るく分散するような響きで品のあるものです。

フランス語の発音は、歌っている限りは違和感がないですが、語ってもらうと誤読が露呈するのが不思議でした。
楽譜の音符上に付記されているフランス語歌詞ではなく、詩の記述で読むことをお勧めします。
その状態できちっと読んでおいて、スラスラと流れるような語り口が出来てから歌うと、かなり歌の語感が良くなると思います。

日本歌曲は、滝廉太郎の「秋の月」から。
メロディの持つ特性から、感情をはっきりと出す方向性を持ってもらいました。
持たないなら持たないで、むしろ感情のない、虚脱した雰囲気を出すのでも良いとは思います。

高田三郎の「くちなしの花」
単純なメロディ構成なので、結果的に高い音域にかかるフレーズになると、声を張って歌うのは、誰しも同じ発想と思います。
しかし、彼女に限らずで、誰が歌ってもサビの部分の歌いまわしがステレオタイプに感じていました。
やはり歌詞の意味と、声の使い方が合っていないのだと思います。

この、違う歌詞で同じ旋律形で繰り返される、この曲唯一の高音フレーズは、それぞれの歌詞に応じた感情で歌声のテンションを決めてください。
高いから声を張る、というのではなく、歌詞の意味と相対したニュアンスを高いフレーズでも出すこと。
すなわち、抑制した歌声であることも、必要な場合があると思います。

GH

「からたちの花」から、練習を始めました。
緊張した喉から声が出てくる印象でした。
音程を気にするのか?声の響きを高い場所からばかり意識するようです。

確かに、特に低音発声において、本性的に喉が下がる傾向があるため、喉を下げ過ぎてしまう弊害があります。
私が前に言った、か→ら→た→ち・・・というフレーズの流れは、最初の2点bから5度上の3点gまでを水平に感じることが滑らかさにつながるという観点でしたが、

それは、低音状態で、ゆったりした落ち着いた響きになっていないと、その意味がありません。
そのためには、やはり口蓋弓の高い状態も、作らないといけませんし、喉は喉で下がっている状態でバランスする必要があります。
どちらが先か?といえば、下げる方を確保したほうが、彼の場合は良いでしょう。
ただし、音程が♭になりますから、口蓋弓も高く保持するように、ブレス時に準備しておいて、声の出始めは、口蓋弓の高い場所から出せば、声質はゆったりしていても、音程のぴったり高いピッチの決まった声になる、というわけです。

後は、やはり歌のニュアンスです。
其々の節、からたちの花が咲いたよ=?からたちのとげは痛いよ=?からたちの畑の垣根よ=?まろいまろい=?金の玉だよ=?からたちの傍で泣いたよ=?
それぞれの?は、どういう感情の立ち位置なのか?あるいは、この歌を歌っている大きな感情の立ち位置はどうなのか?
という

モーツアルト「フィガロの結婚」フィガロのアリア「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」
声のフォームは良い所にはまっていますが、口奥を開ける意識が低いので、声質が奥まってしまいます。
声を良く前に出すようにしながら、口奥を良く開けて発音する意識を持って歌うと、上手く行くようです。

後は、この曲は演劇的な要素、すなわち、フィガロがケルビーノを、いじめてからかう、という面白さを、本人になったつもりで、語り歌うことに徹する事に尽きます。

MYM 

伴奏合わせと、発声を中心にしたレッスンでした。

発声練習は、頭声発声の練習に徹しました。
これは、息を吐く練習を徹底してから、声にする方法です。
息を軟口蓋に当てると、高い倍音のある息が当たる音がしますが、そのときの口奥の感覚を覚えて、そのまま今度は声にして発声をします。
上手く行くと、声帯が一部開いた、頭声発声が出来るため、換声点の発声がスムーズになり音程感の良い声になります。
この頭声発声を覚えることが、発声上の最大の課題です。

その後も継続的にこの方法を続けていますが、歌うと胸声傾向になってしまうのは、軟口蓋を上げようとすると、喉を上げてしまうのではないか?
喉を上げてしまうために、締めた声になってしまうのではないでしょうか?

レッスン時は、口を開けろと口うるさく言ってしまいますが、その理由も、この喉を上げてしまうことが原因だと思います。
どう見ても、口を開けないことがメリットにつながっていない発声に聞こえる(見える)からです。

結局、行きつく先は、ブレス時にあくびの状態を作ることが、喉を上げないで(下げて)軟口蓋を上げて、頭声がミックスした高音発声への換声が可能になるのでしょう。
これは歌う際のお腹の使い方に強く関係がありそうです。
見ていると、ブレスしてから歌うと胃の辺りをへこませているように見えます。

ブレスをすると、横隔膜が収縮して内臓が下に押されるため胃の辺りが前に膨らむと思います。
歌うときに、この胃の部分で押してしまうから、横隔膜ごと押すことになってしまい、保持された喉を上げてしまうのだと思います。
胃をへこませるのではなく、下腹部を下から上に持ち上げるように入れてください。
今日もやりましたが、これを上手く出来るためにこそ、側腹部を拡げるように息を吐く必要があるのです。

以上の発声の課題は、10日までに間に合わないと思うので、発声時の確認程度にして、実際はしっかり、思い切って歌う、という方向性を決めたのでした。
特にトスティとベッリーニの歌曲は、難しい換声点の発声の課題があり、発声を意識していると、歌のエネルギーが消えてしまい、良い結果につながらないと感じたからです。
この場合は、特に換声点の発声は、極力口を縦に良く開けること、が課題です。
それから、母音のIとUが鬼門です、特にIは、母音をAにしてしまった方が、よほど良いと思いました。

日本語の歌としては、林光の「浅草橋の下」から始めました。
これが見違えるほど良い歌声で歌えて驚きました。
滑舌も良く、歌詞が明快でありながら、歌声が安定して良い響きです。

「夜の河」は母音のIで伸ばすところだけ気を付けてください。

武満のMIYOTAは、音域が低いので、ゆっくりとしたテンポ、ぎりぎりの遅いテンポが良かったです。

中田喜直の「行く春」これも良く歌えています。
結局、喉が十分に温まっていれば、頭声発声の課題が未解決でも、今回の一連のプログラムは、十分にこなせるだけの歌声を持っていることが確認出来たのは、収穫でした。