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今日はサン・サーンスのヴォカリーズを持ってきた。
Parysatisという作品で、1902年初演の劇音楽である。
その中のロシニョル(夜鳴き鶯)の役?の歌である。
拍子はないに等しく、文字通り鳥のさえずり、鳴いている様をソプラノの歌で表現したものだ。

歌い方や表現はまだ置くとして、彼女が研究した高音から更に上の発声、声質については、彼女の研究成果を大いに評価したい。
要するに声に抑制が付いてきたということに尽きる。
彼女がどのような感覚でそれを出来ているか?判らないし、彼女は無意識かもしれないが、明らかに、抑制が付いてきたと思えた。

超高音域は、究極の身体感覚なので、理屈をどうこういうよりも、良いか悪いか?こちらとしては、それは言い続けて来たのだが、ようやく定着してきたようである。
試みに、フォルテと楽譜指示のあるところを指摘すると、以前の声に戻っているのが、その良い証拠である。

抑制すれば良いというものではないが、無意識に目一杯の声を出してしまう癖は、音楽の中で滑らかさや自然さ、を失い、唐突な印象を与えてしまう。
高音というのは、本当に難しく、アリアの種類、その役柄キャラクターによって、同じ3点Cでもまるで違う印象を与える結果になると思う。

高音から一気に転がり落ちる低音は、よくよく注意して声をチェンジさせないようにした方が好いと思う。
低音で声ががさつくし、音程がおかしくなる。

この曲は仕上げるには、クレッシェンド、アッチェレランド、短い音譜の切り方、など鳥の鳴き方、さえずり方のパターンがあるはずだから、そこを押さえれば今の彼女には難易度はそれほど高くないと思う。

次に歌ってもらったのが、最高に美しいモーツアルトのコンサートアリア。
Vorrei spiegarvi,oh dio
これは難易度もA級であるが、相当なレベルに行けそうな期待を持たせてくれる歌を歌ってくれた。

出だしのメロディは極上の声を聞かせてくれ、惚れ惚れするもので言うことがなかった。
前半の最後の3点Eは、その前のミーラからラードと上がるところで、下から持ち上がる声になって重く、先にある3点Eが出るのか?と思えたが、出てしまうから、凄い。
判らないのだが、もしかすると上に昇るほどクレッシェンドする癖が強くあるために、高音が重くなる傾向が強いのではないだろうか?

歌っている者よりも、聴いている者にとって丁度好い、それこそレガートな美しさを感じさせる旋律の形というものは、
実は高音に昇るほど抑制が効いている場合に、それが感じられるのではないだろうか?
そうやって考えれば、高音ほど人の耳には良く通る訳だから、高音ほど頑張らないで出せば、自然にレガートな旋律の形になるだろう。
そうやって考えて見れば、高音の美しさを客観的に考えて、研究できると思う。

最後にフォーレの「閉じられた庭」の1曲目を。
いきなり低い音域のフォーレの渋い音楽だが、衒いのない、素直で明るい軽やかなフォーレの真骨頂を感じることが出来た。
彼女の中低音は何とも言えない雰囲気があるから、声量はなくてもこの曲には充分音楽として通用するものを持っていると思う。
低いから、少し高く響かせる意識を持って欲しい。

後はラヴェルのシェラザードの1曲目の、少しだけ譜読みをした。
こちらも、雰囲気充分で、期待が高まる。
以前は、平たく浅い発声になりがちだった、フランス語の歌曲の中高音が、好い頃合の声になってきて、表現力が高まってきたのが嬉しい。