MT

ギターによるダウランドのマドリガーレ弾き語り。
1、鎮まらぬ想い
2、行け!透明な涙よ
3、君はこんな風に、冷たくぼくから心を奪っていくのか?
4、もし私の不満が情熱を動かすなら
5、さあ、もう一度来てくれ!

歌い進むほどに、声も温まり、喉が開いてきて良い声になっていた。
これなら、心配ない。

レッスン内容は、ギターの伴奏音楽と、歌とのバランスの問題だけになった。
ダウランドの伴奏は、リュート奏者による作曲だけあり、非常に凝ったもの。
その分、弾くのに苦労するから、演奏的にギターを弾いている印象が強く出てしまう。

それは、細かい音符のせいで、歌は朗々と歌っているのに、ギター伴奏の細かい音符が
どうも邪魔に聞こえてしまうのである。

そこで、全体にテンポをゆったり目にして、無理なく弾けること、を狙ってもらった。
これで、歌が前面に出て、とても聴きやすくなった。
これを本番も守って、落ち着いて演奏に臨んでほしい。
どちらか、というと、我慢、と思うほうが良いところに行けるのではないか、と思う。

全体的な印象として残ったのは、一点だけ発音と発声の関係。
喉の深さというのではなく、母音の響きの浅さが少し気になった。
調音点(響きの場所)をもう少し中に意識できるようになると、良いのではないだろうか?
言い方を変えれば、共鳴する場所を作ること、とも言えるだろう。

TT

モーツアルトのハレルヤから。
メリスマだけは、流れが良くなり音程も良いのだが、今度は少し滑る感じがあるので、
あえて、息を混ぜたHaHaHaを意識してもらった。
メリスマの音程移動は、喉の音程よりも、倍音の違いを出すから、口の開け具合、
あるいは、唇の微妙な動かし方が大きいのではないだろうか?
響かす場所さえ決まれば、後は微妙な口の動かし方で、メリスマの動きが決まると思う。

Bist du bei mirは、二点Esに跳躍する時に、微妙にずり上がるアタックが少し気になった。
恐らく子音発音のせいだが、逆に子音発音が上手くなったとも思える。それだけ。

Je veux vivreは、やはり冒頭の笑い声から、最初のテーマへの半音階の音程だろう。
それと、冒頭のJeの声質、発音の練習をした。

音程が不明瞭に感じていることもあるのだろう。
笑い声を歌った後、あるいは歌い終わった時に、この音楽の3拍子のブンチャッチャの最初和音感がイメージ出来れば、
次のjeの音程感は明快に持てる、と思う。

それから、低音域の鼻腔発声は更に課題として行きたい。Mimimiなどで、低音域を良く鼻腔で発声して、口先を開けなくても
ある程度の響きをピッチ良く出せるようになるだろう。
低音なので、ついつい喉を下げてしまうが、喉をあまり下げないように意識することがコツである。
ただ、締まってしまうと、これもまずいのだが。

試演会では、先の曲を考えないで、1曲だけを大事大事に、行くことを大切にお願いしたい。

WH

ドニゼッティのLa zingarra
声に芯が良く出て、この曲の持っている民謡的な力感のある歌になった。

録音で聴いた綺麗な声による、洗練された表現、を目指したいのは、良く判る。
が、もう少し声を作ってからでも、全然遅くないであろう。
それは、彼女の高音発声が、未完成だと思うからである。

ベッリーニのAbbandonoも、椿姫のアリアも、同じテーマでレッスンを行った。
今は、なるべく高音は元気の良い声を目指して欲しいと思う。
まだ、高音発声がファルセットだけになるのではないか?と危惧があるから。
ファルセットだけで満足してしまうと、声が出なくなる恐れもある。

楽な、喉の負担のない発声が、窮境の身体感覚だとしても、それを最初から行うのは無理があると考えている。
それと、もう一点は、発声の方法論と同時に、ある歌を歌うとしたら、その歌を歌う感覚を、発声からだけではなく
直感的な感性で思い切って歌うことも、大切にしてもらいたいのである。

以下、高音発声の一般論として書いておく

ファルセットは声帯が開いていて、頭声は、声帯は閉じている。
だから、頭声といわれる高音発声には、声の響きに芯があるように感じられるはずである。
ただ、それは音程が綺麗に決まっているから、喉で押しているようには聞こえない。
また、共鳴やホールの響きがあれば、あたかも響きの中の奥底に沈んでいるようなもの、に聞こえるはずである。

ここが録音で聴いた時に、聞き損うところである。

綺麗な響きだけが耳に残り、その部分だけを真似してしまうと、ファルセットだけの声になってしまうのではないか?と危惧される。

問題は、ファルセットと頭声を混同してしまうこと。
頭声が、共鳴と共にきれいに決まっていれば、ブレスの持ちが違うから判るはずである。

それから、良い頭声発声は、歌っていてクレッシェンド、デクレッシェンドが綺麗に出来るはずである。
特にクレッシェンドが効かないのは、恐らくほとんどファルセットに近いと思って間違いないであろう。

高音の綺麗な頭声発声は、本当に完璧に作るのは時間がかかると思う。
そのためには、ファルセットだけでは駄目だし、下から持ち上げた声だけでも駄目だろう。
だからといって、持ち上げた声は絶対駄目か?というと、声帯を合わせる感覚を高音でも作るためには必要だ、と私は思う。
喉を使う感覚を養って欲しい、という意味は、そういう面においてなのである。

何も、喉から血が出るほど声帯を鍛えて欲しい!などと、アナクロなことを言いたいわけではない。

そのために練習で一番やって欲しいのは、ハミングだ。
ファルセットではない、声帯の合ったハミングの響きで、どこまで高音発声が出来るか?
基準は音程が綺麗に合っていて、かつ、芯の響きが残るハミングであること。
これが出来ていれば、そこから、Ngaとやって、母音に変えれば、必然的に、芯のある頭声発声になるだろう。

ただ、高音では、ある程度口を開けたハミングでないと、苦しいと思う。
あまり練習をしていないが、ぜひとも取り入れてもらいたい。

MC

モーツアルト、ケルビーノのNon so piu cosa son
前奏が短いので、やや軽い声になり勝ちだが、それでも軽快に上手く歌えていた。
この曲で中低音がしっかり出せれば、凄いことだろう。
低音は、こもらないように、明るく高いピッチで出すことを忘れないように。
力むと余計にこもって暗くなってしまうので。

伯爵夫人、Dove sonoも、やはり前半の中低音は、暗くならないように明るくお願いしたい。
Doveの長く引っ張るOの母音。ピッチは正確で良い。

見ていると、かなり一所懸命歌ってくれていて好感が持てる。
最初から完璧な発声などありえないわけで、まずはソロボーカルとしては、一所懸命声を出す、精一杯出すことを身に付けて欲しいのである。

そうすると、身体を使うことを素朴に覚えていく。
その中から、どうしたら効率よく身体を使えるのか?というディテールの話しになっていく、と思っている。

身体を使う、一所懸命歌う、という表現の中に潜むデメリットは、即ち力み、であろう。
しかし、これとても歌うときの力みを経験しないで、真の良い脱力は判らないと思うのだ。

今度の試演会は、この点を忘れないで欲しい。恰好つけないで、精一杯を。上がったらなおのこと、である。