TM

発声練習で感じたのは、音程感が明快になってきたこと。
発声上の力みが減少して、強い揺れ感が消えつつあること。

今回の修正の課題は、声量の適度な抑制を取り入れたことと、音程の感じ方による喉の使い方の修正の2点に集約されます。

現状の声質の面を大きく見ると、胸声域の声で頭声成分が強いが、頭声域では胸声成分が弱くなる傾向があると感じました。
平たく言えば、中低音域は全体に響きが上ずる傾向があるが、換声点を過ぎた高音になると響きが薄くなる傾向があります。
これを、どちらの音域でもバランスしよう、という発想になることが、冒頭に書いたこととつながると考えています。

ロッシーニ「セヴィリヤの理髪師」からUna voce poco faを練習しました。
譜読み途上なので、リズムの読みなど、不揃いなところを何度も練習になりました。

この曲はロッシーニお得意のアジリタな持ち味のある曲です。
また、とても演劇的な要素もあり、面白い曲です。

彼女の場合は、メリスマを歌うとき、なるべく息で共鳴を作って歌う(hahahaという響き)のではなく、響きを丸い口蓋弓に沿わせて口の前に向けて進むような、フレージングのイメージで歌ってください。その方が音程感が明快になるようです。

それからロングトーンの高音発声は、ガツンとぶつけないで、柔らかく入ってクレッシェンドするようにすると綺麗な処理に感じられます。
全体的には低音域でこそ、響きを落とさないで、明るく高い声の響きを意識すると、息もれのない低音発声が実現するでしょう。

また、演劇的にもこの歌の意味は面白いものです。
遊び心を持って、もう一度楽譜を子細に研究すれば、低音発声の地声の取り入れ方、あるいはメリスマの歌い方や、リズムの微妙な揺れなど、表現の振幅が分かって来ると思います。

TSS

3日のプログラム、全部を通しました。
前回の伴奏合わせでほぼ問題解決していましたので、今回もほぼ問題ありませんでした。

課題とすれば、モーツアルトの「ハレルヤ」の最高音6点Cの声です。
平たく潰れてしまった響きになっています。
喉で当てるだけになっています。

もう少し、喉が上がるのを我慢して、共鳴腔を拡げるようにして息の力で高い場所に共鳴させるような発声を覚えられると良いです。
しかし、ただ高い場所で当てるだけ、だと抜けてしまうでしょう。
むしろ声を当てる(声のアタック)のは、喉の下の鎖骨の窪み辺りを狙っておくのが良いでしょう。

Alle-lu-ia と、3シラブルですが、このAlleの最後のシラブルEの状態で、完全に喉奥を開けておいて、
次のluの6点Cを、喉下の窪みに一瞬当てる感じです。
前の母音のlleで、喉奥が空いている意識がないと、難しいと思います。

全体に安定して歌えていますが、呼吸の問題と声との関係は、まだまだ課題が残ると考えています。
声が軽いのだとすれば、そいれは持ち声の問題ではなく、発声の問題ととらえてください。

TNA

今日のトピックは、喉の使い方のイメージをつかむことと、呼吸法の具体例の紹介となりました。

喉の使い方については、基本的にブレスが関係しますが、まずブレスと切り離して考えました。

イメージですが、ヴァイオリンだと弦を弓が擦り始める時の力加減と響きの関係。
擦りだしは適度な圧が必要だが、響きだせば圧はあまり必要ではない事。

あるいは響きとして、オーボエなどの密度の有る響き。
どんなに小さな響きを出していても、密度を減らさない、息もれのな音で出すこと。
声帯を扱う歌声も、同じ発想を持ってほしい、と伝えました。

もう一点は、そのことと関係がありますが、声質と音程の関係。
ピアノの音に影響されますが、音程を感じるときに、彼女の場合であれば、低い音域の音程を感じることで、声の響きがちょうど良いバランスになること。
イタリア語で言うChiaro scuro陰影のバランスが程よいことです。

声帯そのものは高次倍音が良く出る出し方だが、その出た響きを直に体外に出すのではなく、天井に反射させて、出すようなイメージです。
天井は人体であれば、口蓋弓のことになります。

口を開ける開度は、この口蓋弓への反射のさせ方と、音域との関係で決まると思ってください。
音域によって無駄に息を使わずに、効率よく良い声が出せるようにするために、この口の開度の具合を調節する、と思って、発音との兼ね合いを考えるわけです。

呼吸法を教えました。
斜腹筋で呼気をコントロールできることで、歌えば自然に下腹部から凹んで、最終的には横隔膜がっ弛緩するので、胸骨も斜腹筋も弛緩して、お腹周りは減少する、という見た目になります。
従って、吸気(ブレス)の際に、斜腹筋が働くように吸います。
そのために、最下部の腹横筋が緊張して収縮していることが必要になります。
昔から、武道の世界でも、丹田に力をこめるという言い方をするのはこのことになります。