どうやらお腹、それも前腹を硬くして歌っていたようである。
声の支え、という概念をお腹の前を硬くして歌う、というように考えていたようである。
これでは息の勢いが高く昇らないから、特に張った声が♭な状態になってしまうことは、容易に推察できる。
また、不要なビブラートの多さも関係あると思う。

一般的な腹式呼吸と言うのは、息をするとお腹が少し膨らんで、息を吐くとお腹がへこむ。この程度に感じていれば良いのである。
逆腹式呼吸、いわば息を吸う際にお腹をへこまして、息を吐く時にお腹を出していく方法もあるが、これは声楽には使わない方が良い、と私は思う。

支えが気になるというが、別に今の彼女の声は気にしなくてもまったく問題なく声が出せている。
強いて支えというなら、もっと下腹部の丹田辺り。
ここがしっかりしていると、その上の腹部から側腹が意識してコントロールし易くなる。

その上で、前腹から側腹を呼気の要求に応じて使えるならば、腰が支えになることは容易に想像が付くし、実際問題横隔膜の始まりは腰の脊椎辺りになる。

それにしても、彼女に限らず、声楽を勉強する人は用語や方法論について、言葉だけが一人歩きしないように、注意が必要。
自然にやっていれば上手く行くものが、例えば「支えが必要」とあれば、そのことだけに執心してしまい、身体の使い方を捻じ曲げてしまう可能性が大きいのである。

歌うことや発声というのは、特殊なことではなくて、自然なことである。
ただし、通常の生活で使わない筋肉を使うことが多いので、訓練が必要なのである。
特別なことではなく、眠っている感覚を呼び覚まして行う、ということを理解出来れば良いのだが。。

曲の方はモーツアルトRidente la calmaから。
これもお腹を自然に使うことと関係するが、一回目の合わせでは音楽が進まない。
歌えるが、苦しそうに聞こえる。

前述の発声のようにお腹を少し意識して吐くことを意識すれば、歌のフレーズが自然に先に先にと進んでいく。
彼女のように、息を吐くことが歌のフレーズの進行と一体化していない発声の場合は、身体の使い方や発声の面からの
トライもあるけれども、単純に音楽を拍で捉えないで、歌の旋律を歌い進むことだけに集中するだけでもかなり効果があるだろう。

要するに肉体的なアタックではなく、音楽的な感覚的なアタックによって、逆に肉体の使い方に影響を及ぼす、といえば良いだろうか。

当然高音に昇るほど息は増して行かなければ出せないはずである。
また、意気を増していく、クレッシェンドする、ということは、厳密に言えば拍の進みが速くなる、ということにもつながるだろう。

恐らく息を自然に吐き進めて行く様にフレーズを歌えることが出来れば、音程も含めて一撃で解決できることが多いのではないだろうか?

次の伯爵夫人のPorgi amorも同じである。
特に高音に昇るところは、息の使い方が分かればそれほどアッチェレする必要はないが、今は息が苦しくなるのであれば
筋力も含めて未解決なところもあるわけだから、先ずは上に行くほど進むあるいはクレッシェンドする意識で歌えば
ブレスは結果的に持つはずである。

出だしのPorは1点bだったか?これが出しにくいが、徹底的に軟口蓋を上げた状態が作れるかどうか?にかかっているだろう。
最初はPという子音を使わないで母音だけで練習して欲しい。
声を出す前に、ブレス時点で喉が開き、軟口蓋が上がったポジションが出来ていなければ、正確な音程でこの響きを出すのは難しいだろう。
母音だけで安定して出来れば、後はそ~っとPの子音をつけること。唇をまじめに噛み締めてしまうと、恐らく中のポジションが崩れて
上手く行かないだろう。

それでも、全体的にはかなりいい線まで来ているので、ちょっとした身体の使い方の誤解や不足が勿体無い、と感じる。
とてもまじめな方なのだろう、と思うが、何よりも自然であること、自然に歌を歌えるように、自分の発声を振り返って欲しい。
理屈が先にあるのではなく、気持ちよさ、自然さを、何よりの指針として欲しい。

おおぜきさん

たつとみさんで、驚いたからというわけではないのだが、どうも彼女もこのお腹が未だ徹底していないように思う。
それは特に声量の面で関係あるし、大きく見ればブレスから声を出すまでの経路も関係するように思う。
要するにブレスと喉を開くことの関係だ。

本当はもっと声が出るのに、それが充分使いきれていない印象である。
試みに一音だけで、お腹を意識して声を出してみる。
ブレスで喉を開いてあくび状態を準備して、後は息を上にしっかり送る。
その息の勢いが声になると思って、出してみたら、喉が綺麗に開いた良く響く声が出てくるではないか。

後は本人がその声の良さに気づいて、自分でつかむことが出来るかどうか?にかかっているだろう。
類推だけど、もしかすると彼女なりの声のイメージがあって、それが邪魔をしているのではないか?という気もする。

お腹を落としてどてっと安定しているだけだと、重心は確かに低くなって、一見して声の支えが出来るように思う。
ただ、そうやって出す声は息が高く昇れないから、中低音の声は太く♭になり勝ちだし、高音は喉で力んで締まってしまう。
男であれば、高音は叫び声にならざるを得ないが、女性だから歌える面もあるし、また声がチェンジしたままで細く締まった声になるのも
恐らくこのブレスの準備から呼気の使い方に関係する、お腹の使い方に鍵がある気がしてならない。

曲の方はイタリア古典の「すみれ」から。
譜読みも進んで大分良くなった。
今日はゆっくりのテンポから少しずつテンポを上げて、本来のテンポに戻したが、ようやくそれらしい曲の雰囲気になってきた。
そうやって聴く彼女の声は、とてもオーソドックスで日本人離れした声であることが分かる。
キンキンしないで、ふくよかな深みのある声が時々聞こえてくる。
大人の女性の声である。

特に良かったのはベッリーニのMa rendi pur contento
中低音の声が当たっ良く出ているし、音程も良くなった。
この曲内の高音も母音がイであっても、締まりすぎないで良い感じに出せるようになってきた。
後半の盛り上がりは、どんどんクレッシェンドして勢いづいて欲しい。

「ファウスト」ジーベルのアリア「花の歌」は、彼女には相応しい選曲だった。
声がもう一つ出てこないので、特に出だしの食いつきからの小さなフレーズの歌いまわしで、遅くなること。
フランス語の歌詞がまだ身についていないせいもあるだろう。
これはもう歌いこむしかないだろう。

中間部のFannee、はPと指示があるので、これは弱くというよりは意味、表情を良く考えて出せばよい。
その後に続く中間部の語りは、ややレシタティーヴォ風なので、伴奏の和音と歌の出だしの間合いが開き過ぎないように。
間合いがありすぎると、下手な芝居に見えてしまう。要するにわざとらしくなるのである。

ピアノとのアンサンブルで大分良くなったが、まだ心配なのが中間部から、再現部への戻りである。
間合いが短いので、絶対に遅くならないように。

この曲は軽快さ、男らしさ、青年らしさ、若さ、が大切なので、決めたテンポから絶対に遅れないように出て欲しい。
特に八分音符の刻み和音のテンポで一つ一つのタッチに拘ると、テンポがそれだけで遅れるから、八分音符の大きな一掴みのテンポで
どんどん弾き進んで欲しい。