SA

発声練習に少し時間をかけた。
舌が硬い気がしたので、舌を良く動かすように発声と、口の開け方が足りないので、開け具合を広めにしてもらうこと。
JaJaJaとかAEAEを同じ口の形で、など。
彼女はエの母音が苦手らしいが、実は明るい良い響きで、アの母音が同じ響きになると良いなと思っている。

彼女の現在の声は、響きとしては確かに良く集まった、まったりとした響きで悪くないのだが、実際の曲で歌詞を発音するとやや同質的で
それがために何か生硬いような表情に乏しい歌になってしまう。
それは、単に歌詞のディクションが見えない、と言う意味ではなく、開母音と狭母音の差が響きとして出ないということもある。
フランス語で言う、Voyelle clair(明るい母音) Voyelle sombre(暗い母音)という違いだろう。
それらは、単に響きの明るさ暗さということだけではなく、言葉の語感にまで関係する。

もう一つは単に母音の響きの問題だけではなく、音域の変化とフレージングによる旋律の描き方にも微妙に影響があるだろう。
口を閉じ気味で同一的な響きだけで全体を歌おうとするから、どうも息が自然に声になって一緒に流れていない感じがする。
息が流れてその息の流れがフレージングを生み出すのではなく、響きだけで線を描くような感じになってしまっている、といえば良いだろうか。
例えばペン字だとしても、その線には微妙に細い太いが出ると思うが、それはペンを描く筆圧に変化のゆらぎがあるからだろう。
それはたとえば、ひらがなでも漢字でも、線には細い太いが微妙に交じり合って、美しい字体が出来る、ということを経験的に知っているから、そうするのだろう。
歌も声楽も同じだと思うのである。
息の力が声に素直に反映されていれば、ペン字と同様に、声の響きに厚い薄い、というような揺らぎが出て当然なのである。

そしてその揺らぎというのは、歌詞を歌うために、もっと柔軟に口を開け閉めしたり、唇を使ったり舌先を良く動かしたり出来るようになることで生まれてくるのだろう。その意味は、歌詞のディクションが分かる歌、と言う意味だけではなく、前述のフレージングとしても美しいという意味である。
そして付け加えるならば、息をけちらないで、もっと息を使うこと。そのために、最初のうちはブレスが伸びなくても良いくらいである。

どうしてこういうことをくだくだと小難しく書いてしまったか?というと、恐らく彼女の中である種の歌、声楽のイメージが出来ていて
それがある意味で逆目に出てしまっているからかもしれない。
だから、発音そのものの問題は実は二義的なことであろう。それはフランス語、ドイツ語の違いはあまり関係ないと思う。
むしろ、言葉を歌うことの意味、といっても良い。
これは人にもよるのだが、彼女の場合は、声の響きの同質性などを優先させることよりも、もっともっと素朴に歌詞を歌うのだ、ということに重点を置くことで、声の音楽がかなり変わっていくのではないだろうか?

と、小言みたいに、長くなってしまったが、今出来ている声の響き自体は基本的に良いと思う。
後は、その響きを保ちつつ、歌詞の母音の形、色、そんなものがもっと直截に出るような、アーティキュレーションの方法を覚えていくことにあるのではないだろうか。

曲はグノーのVeniseを。♭2つの高いキー。
ちょっとした音程の間違い、歌詞の発音、などと共に、少しずつ上述の母音の形、などを細かく見た。

KY

アやエなどで軽く発声練習。
2点Gまでにして、力まないようにした。
軽くて無理の無い声になって、良い印象だった。

だが、歌になると相変わらず高音で喉が力む。
前回くらいまで大分良くなったのだが、また少し元に戻ったか。

特に「からたちの花」は高音がどうしても力んでしまう。

今日は中田喜直「夏の思い出」から始めた。
これは音域がそれほど高くないので、無理なく歌える。
強いて言えば、中低音域が低めにこもるので、エの母音で練習してからアでも同様にやって
天井の高い声、あるいは喉を押し下げない声を求めた。

母音を歌う際に、その響く場所を口から下ではなく、上顎から上、と意識して欲しい。

一方、前述の「からたちの花」が難しさが出てしまった。
高音とはいえ、2点Gだが、この曲の高音は張り上げて何とか聞ける音楽ではないので、ある意味難しいのだが、だからこそ彼女にはちょうど良いと思う。
ただ、ブレスを真面目に守って、一所懸命歌うのだが、ブレスを守ろうとするあまり息が苦しくなって、結果的にフレーズが寸詰まりで苦しいだけの歌になってしまう。

それならば無理をしないでカンニングブレスを入れても良いから、楽に歌おう。
この曲が苦しくなってしまうと、歌う意味がなくなってしまうから。

このことは、もう数年来何度も言っているように、高い声を出す際に喉を下に力まないで響きを頭から上に、軽く軽く優しく出すことだけを考えてほしい。
下あごを使わないことで上記のことが実現できるだろう。

最後に「桐の花」こちらは無理なく綺麗に歌えた。

今の彼女の場合どうしたら2点Gから上の声を楽に出せるか?ということだけがテーマだが、難しいとしても方法論を覚えて
実現しない限り出来るようにならないと思う。
方法がわからなければ質問して欲しい。

こちらから見ていると、彼女は何か山のように動かない部分があるのだが、それが心なのか、何なのか?が良く解らない。
お稽古事をやることの意味を考えて、単なるお勉強、時間の経過ということではなく、意味のある目的のあることとして
歌って欲しい。

理解すること、実行すること、それが結果になること、という経過を踏まえないと、レッスンは何回通っても、変わらないと思う。
大げさかもしれないが、人生には限りがあるのである。
そうでないと、進歩がない訳だし、やっていても面白くないのではないか?と思ってしまうのである。