OT

友人のご主人で、ゲスト出演の予定。
関心するくらい自然体でテノールを歌える方である。
かといって、細くて中性的なタイプの声ではなく、立派な男らしいテノール。

発声のセオリーというような小難しいことをまったく意識しないようにみえる発声だが、大したアリアを歌えるのである。
聞いていても見ていても、喉の負担があるようには思えるのだが、鼻腔共鳴は出来ていて、なかなか良い声である。
顎を少し上に上げ気味にして、喉のポイントをわざと高くすることで、逆に胸側なりうなじ側なりの引っ張りを自然に作るのであろう。
喉の高さの問題ではなく、高音を出す際に声帯の伸びをどこを支えにしているか?ということではないだろうか。

ともあれ、ナポリ民謡のO sole mioから椿姫「女心の歌」そしてトゥーランドット「誰も寝てはならぬ」その他、オペレッタのアリア(タイトルを失念)を、それぞれ繰り返しも歌い、1時間のレッスンを歌いとおしたのは立派である。

特に「誰も寝てはならぬ」では、最後の1点hを一度も失敗せずに、3回は歌っただろうか?
理想を言えば、もう少し喉に負担の少ない発声もあるだろう。
今日は、高音に行くほど胸郭を少し開くように、意識してもらったが何度もやったせいもあるが1点hが綺麗に頭声になっていたのが
印象的だった。
また、1点Eくらいの一番出しやすい所ほど喉に任せて出さないで、抑制しておくことで、更に高音で声が伸ばせるようである。
暗譜はなるべく頑張って欲しい。

FT

トスティのVorrei morirから始まった。
コンパクトに軽く歌っていて、その工夫の跡を評価したいが、声をコンパクトにする余りに、自然さやリラックスした喉をなくしてしまっているように聞こえた。
確かに高く集める必要はあるのだが、やり過ぎて喉が硬直しているように感じられた。
また、歌声が内容にそぐわない、何かわざとらしい嘘を言っているような声に聞こえてしまうのである。
恐らく、お腹から離れてしまった声になっているせいであろう。

これは喉そのものだけではなく、胸も肩も、顎も全部が硬くカチカチになっていたからであろう。
もう一度リラックスして歌うことを主眼にやりなおした。

彼は、このパターンに陥る傾向が今までも何度かあった。
声を軽くというと、お腹から離れてしまうし、自由にやると喉で強く鳴らしてしまう。

一番難しいのが、Tu canun chiagneである。最後の高音が連発してくると、苦しくなる。
高音発声でなるべく喉で押さないように気をつけることである。
喉で押さない代わりに、なるべく響きを鼻腔に入れるように意識すること。

特に一音くらいで最高音に上昇する時のほうが、意外と有効である。
なぜなら、うっかり気軽に出してしまうのだが、それだけで喉をバリっとやってしまうものである。
一度、悪い状態を起こすと、歌唱中には、もう良い状態には戻れなくなるから、くれぐれも無理な声を出さずに済むようなコツだけでも
覚えて欲しい。

トスティのA seraは、とても軽やかで明るい歌声で、声のことも心配が無い。
後は、暗譜に精を出すことで、更に発声も無理がなくなるだろう。

KH

今日はなかなか収穫のあるレッスンだった。
単純なことだが、口をもっと大きく開けること、縦に開けること。
そしてしっかり歌うこと。
それだけで、全体に声が良く出るようになった。
これは、声楽的な響きにも関係することだが、今回の場合、どちらかといえばそのこと以前の問題、として捉えられそうである。

歌う積極性とでも言おうか。
なぜ積極性が必要か?といえば、歌は、感情表現であり、訴求であるからだ。メッセージの伝達手段であろう。

レッスン中に、彼女は、口を大きく開けるだけで何となく恥ずかしい、といみじくも言っていたが、正にそういう要素が全体に彼女の歌の課題になっているといえるのではないだろうか。
いつも綺麗にそつなく課題をこなすのだけど、どこと言っては難しいのだが、迫力というかオーラというかそういう要素が弱いように思った。

自らを鼓舞する、というと大げさかも知れないが、身体を単純に使うという意味では、口をはっきり大きく開けて歌うことで自然に自らの歌声を身体から精一杯出せるのではないだろうか?
精一杯ということを、良い意味で実現体感して、失敗しても良いから、そのことで感情的表出としても、ありったけの自分を出す方向を
見つけられるかもしれないから。

ベッリーニのMa rendi pur contento、Vaga luna.そしてGianni schichiのO mio babbino caro
特にO mio babbino caroが随分声が変わった。
口を開ける時、彼女の場合は横開きにしないほうが良さそうである。
横開きにすると、声帯が小さくなるような感じで、響きが出てこなくなる。
むしろ縦にしっかり開けると、喉も開くし鼻腔へも開いた道筋が出来るような声になっている。

今日の発声と共に、なりふり構わず夢中で、歌うことをイメージしてみて欲しい。

SY

伴奏あわせも2回目となり、おかげ様で、かなり突っ込んだ練習が出来てきた。
歌で言うと「蝶と花」は、低音の出しにくいところほど、フランス語の抑揚で歌えるようになってほしい。
意味よりも、単なる音律で見ると良い。
それは、長母音化しやすいシラブルを、充分に出すことである。
La pauvre fleur disait au papillon cereste,”Ne fuis pas!”
  ↑     ↑    ↑     ↑ ↑ 
一例でこれは絶対ではないが、このようにシラブルを取り出して、強調することで、歌の中でも語りになっている部分を
起伏豊かに表現できるであろう。
それは、低音の出にくさを補う効果もあるし、逆に低音をしっかり出すためのきっかけにもなるであろう。

彼女の場合は、一番に低音の出にくさを補って欲しいことにある。

「夢の後で」は、声そのものよりも、テンポと伴奏の音量の関係がトピックであろう。
テンポが少し揺らいだが、彼女の歌であれば相当なゆっくりでも行けるであろう。
出だしの有名なモチーフ、Dans un sommeilの昇りは、ここの最高音で伴奏も一緒に響きを出して欲しい。

全体にこの曲では遠慮しないで、盛り上がるところの伴奏の響きの厚みも欲しいし、また、特に最後の盛り上がりのフレーズでの進行力も必要だろう。
かなりゆったりと始めるが、必要なところでは一気呵成に行ってほしいのである。
スケールの大きなアリアと思って伴奏を弾いて欲しいし、歌もアリアのつもりで歌って欲しい。

「イブの唄」2曲は、主に伴奏のことになった。
Eau vivanteは、全体に音量が気になった。
音質はとても良いのだが、歌の声域が低いため、伴奏のゴロゴロとした感じが気になるのである。
水といっても泡がぶくぶくと静かに立ち昇る音をイメージして、出だしの16分音符の滑らかで抑制の効いた音質を探して欲しい。
最後のコーダ部はディミニュエンド、を気を付けて。
歌も、もう少しフランス語の抑揚が出せると更に良い。

Comme dieux rayonne aujourd’huiでは、中間部から16分音符のアルペジョでは、オクターブで出てくるメロディを歌ってくれれば
16分音符のアルペジョの伴奏は適当に付いている、くらいで、大きくメロディで流れる感じが欲しい。
ここから音楽の形が変わるので風景が見えたい。