MYM

初恋、お菓子と娘、アマリリスの3曲を練習した。
「初恋」は、ちょっとした音程が取れておらず、譜読みの苦手さ加減が伺えた。
一か所だけ、試みに移動ド方式で、ドレミファの階名唱法で練習した。

移動ドは、この曲の調性であるヘ長調ならば、Faが主音だからドとすることにして読むわけである。
要するにドレミファという階名で音程関係が判りやすくなるメリットを主眼にしている方法である。

欠点は、調性が♭、♯いずれも多くなると、ドレミファへの置き換えが難しくなること。
転調などがあるとお手上げ状態になる。

それでも、譜面と接する機会が多くなると、見ただけで想像できるようになるから不思議。
私のように絶対音がない人間は、音程を譜面を見て読み取れるようになるためには、譜面を見る経験の多さしかない。

固定ドは、どの音符を見ても単体で音が頭に浮かぶので、結果的に楽器がなくても音が取りやすいというメリットがあるが、
その音程の記憶が強いと、歌声の場合は逆にピッチのシビアさに自身が支配され、声の良い意味であいまいな楽器の良さが損なわれないだろうか?という気がしている。
声は、弦楽器の音(音程)を作る作業に似ているので、ピッチのルーズさが気になり過ぎると、良い音質(声質)を探すことをスポイルしかねない気がするのである。

MYMさんは、一応ピアノが弾けるのだから、なるべく伴奏を弾いて譜読みをすべき、と話をした。
10年以上触ってないようだが、声楽家とピアノは、実は切っても切れない縁である。
もし、ピアノを弾ける環境にあるのであれば、なるべくピアノを置いて練習できるようになるべきと思う。
今後、声楽を長く続けるのであれば、出来るだけそうなってほしいと願っている。

ところで中田喜直作曲の「アマリリス」は、彼女の歌声を良く活かす詩情が感じられる。
少女のような純な心が歌声には必要なのだ、と思わされるのである。

1928年に橋本国彦が作曲した「お菓子と娘」
これは、何がどうということがない曲なのだが、女声の美点が生かされる曲つくりである。
これは、ジャンルとしては童謡になるのだろう。
現代的とはいえないが、戦前の品のある童謡の良さを活かせるキャラクターがあると思う。

ところで、発声だが、発声練習から実際の曲でも、ちょっと注意すれば出来ることが、まだルーズにされている部分がある。
声の換声は、2点Eから始まるので、どうやったら上手く対処出来るのか?
常に注意を向けて欲しい。
譜読みの段階から、この発声を大事にして譜読みをしてほしい。

TF

事情があって、3か月近く休んで久しぶりのレッスンとなった。
結果的には、ご自身で良く研究して良い勉強が出来たようで、良い結果が返って来たのである。

発声の声は、中低音から換声点過ぎる2点Gまで、無理の喉を押して響きが♭になる、以前の癖からかなり抜け出せていた。
基本的なところを決定的に治す発声ではなく、単に喉を押さないで丁寧に扱うことと、良いイメージを持って発声する方法が適切だったと思われる。

発声は母音のAで行ったのだが、その上で、狭母音のIで練習をしてみた。
その前にIは口を開けられないので、響きを鼻腔に入れやすいように、ハミングの練習で換声点の通過を試みた。
彼女には難しい課題だが、なんとか出来るようになった。
これだけでも、ハミングの練習をする意味が大いにある。

そして、下顎を降ろさない母音Iの発声で音程良く高音まで昇れれば、後はその響きをそのまま維持するようにして、母音のAを発声して見る。
このことで、母音のAも音程良く、前に響きの集まった発声になって、換声点も音程良く喉っぽくない発声で通過出来るようになる。

一言で云えば、これも下顎に依存しないで上あごから鼻腔だけの響きで発声出来るかどうか?にかかっている。

ところで、今日の歌のレッスンでも発声の指摘をして、良い結果が出たのは、声のポジションをもっと低い所に意識することだった。
ヴィヴァルディの Io son quel gelsomino は、どうも声の響きが浅いし、高音がスカスカしてブレスも持たないイメージが以前から強かった。
確かに以前は、換声点付近の発声の力みをなくす必然はあった。

この辺りの発声のバランスの取り方は難しい。
良く理解すれば、左と右と、遠回りでも硬軟使い分けで練習を積み重ねることで、最終的にベストポイントが見つかるのではないだろうか?と考えておきたい。

声の出し始めが、この曲は2点Cなのだが、フォームが浅いので、4度下のGの声を出して、その喉の状態を覚えて、再び2点Cを発声する。
この方法で、喉を上げない声の出しはじめが可能になる。

後は音程跳躍の際に、音程を垂直にイメージしないこと。
すなわち、水平にイメージするためには、前に進むようにフレーズして歌う方法を取る。
このことで、やはり音程跳躍であがろうとする喉を上げないようにすることが出来る。
同じ喉を上げないでも、下げようとするのではなく、上がらないように自然なフォームを作るという意味で、
非常に有益な方法である。

これは、慣れないとやや喉が詰まった気がするが、気にしなくて良い。
また、喉が詰まる分を、鼻腔に入れるように意識する方法も良いだろう。

Amorosi miei giorniも、冒頭からオクターブの跳躍があるわけだが、これなども垂直ではなく、水平にイメージすべき。
したがって、最初の1点Cの低音は、2点Cを歌える喉の状態で始まるわけである。

おおよそ、以上のような方法でレッスンを終えたが、今回のレッスンは大成功だった。
次回につなげてもらえればありがたい。