TF
今日のレッスンを終えてみて、結果的に発声は、だいぶ進歩してきたと感じました。
前回も書きましたが、あとは自分の癖とどれだけ戦えるか?
彼女に限りませんが、発声の課題を持つ人は、その人が固有に持っている発声上の癖が原因です。
発声法と呼ばれる情報にも、非常に問題があることは認めます。自分も、こうして文章で書いたり実際のレッスンでは言葉を使って指導していくことが基本ですが、その言葉が相手に伝わると、独り歩きをして違った方向に進んでしまうことが非常に多いです。
一番良い例が「喉を開く」という言葉です。この発声上で良く使われる技法を表す言葉は、いつの間にかどこで誰でもが絶対に必要な方法である、と信じているケースが多いようです。
しかし、これは気を付けないと発声を悪くすることもあるわけです。要するに喉を開く必要がない人が開ければどうなるか?あるいは開くという意味を誤解したどうなるでしょうか?必要があるかどうか?やり過ぎではないか?そういうことをどうやってわかるか?といえば、今は録音が簡単にできるわけです。音程はどうか?正しい音程で歌えているか?ブレスはどうか?人並みのブレスの長さでフレーズを歌えているか?仮に歌えたとしても、苦しくないか?普通に考えたらおかしい?と思ったら、発声法を疑ってください。
あるいは、自身が発声で気を使っていることを、改めて疑ってみることです。
発声法の言葉を誤解して練習してしまうことが、一番問題なのです。

今日のムジカCのレッスンでの発声法の中でもっとも彼女の声に効果的だったのは、ささやき声唱法でした。
この練習法のメリットは、喉を開けるとか閉じるとか、そういう言葉にまどわされないで、歌声に絶対必要な息を、どれだけコントロールできるか?というところに視点を置くことにあります。
ただ、方法は指導者に聞かないと意味がありません。同じささやき声でも、息の細さ、当てる場所の違いで、その後の歌唱の発声に違いが出てくるからです。ささやき声の息の音で、その人の発声のフォームがわかるからです。彼女の場合は、長々と書いたように、間違った喉を開ける方法に固執していたと思います。そのために、必要な頭声発声が身につかない、あるいは声の換声が出来ないという喉の問題と、結果的に息のコントロールが出来ないフレージングになっていたと思います。

息のコントロールが出来ないという意味は、フレーズを歌う前半や中低音域で、すぐにに息を使い果たしてしまうからです。
息を細くし、必要なところに通すように歌詞をリズム通りにささやき声で発音し、ブレスが長持ちする方法を探します。
その上で、同じ息遣いで歌ってみます。息遣いという意味は、息のコントロールと息の細さのコントロールです。この練習方法によって、彼女の場合は必要な頭声発声に、自然に換声出来るようです。ヴィヴァルディのIo son quel gelsominoと、ドナウディのAmorosi miei giorniを練習しました。大事なことは、下あごの余計な動きが、頭声に導く軟口蓋の働きを阻害することです。これは、実際は声帯の使い方を表しています。下あごの動き自体が、声帯を胸声方向に振りますが、軟口蓋だけを働かせられると頭声になりやすい、ということです。しかし、最終的にはもちろん、下あごが動いても良いのです。要は頭声発声の方法がわかって、喉の使い方が完全にわかれば、下あごを良く使うことで胸声を混ぜた芯のある声にもできるでしょうし、声量を増すこともできるでしょう。あるいは、喉を開けることで、深い胸の共鳴がつくことで、落ち着いた深みのある声も作れるでしょう。しかし、現在は頭声発声が出来ていないので、頭声発声が完全に身につくまでは、これらの低い共鳴や胸声発声は、なるべく使わない方で練習しましょう、ということなのです。