MYM

トスティの「春」と「4月」を譜読みしました。
母音で音取りをし、通してから、イタリア語の読みを練習しました。
この2曲は、トスティの歌曲の中でも、イタリア語の朗読の抑揚で、かなり変化が出る曲ので、
イタリア語をすらすらと音楽的に読めるようになるべきです。
ぜひ、朗読の練習をしっかりしておいてください。

日本歌曲から「霧と話した」「初恋」を練習しました。
歌声は、母音を意識して響かせようとすることを改めて認識してもらいました。
日本語になると、言葉が先に立ってしまうのか?
声の響きがほとんどなくなり、言葉だけが音程を伴って歌われているだけ、のようになってしまいます。
シラブル毎の響きを意識しなければ、声量としても出てこなくなります。
かなり根源的な問題なので、良く意識してください。

歌としてみると、「初恋」は、彼女の歌はイメージが良いです。
表現が良い意味で抽象的になるため、パフォーマンスの美しさが前に出てきます。
その意味で、彼女は古い日本歌曲のレパートリーを増やすことが、彼女の個性になるのではないか?と
この歌を聞かせてもらい思いました。

TF

発声の修正、矯正についてレッスンをしました。
音域的には、2点C~2点Fにかけての、チェンジ領域です。

この領域では、一言でいえば、喉を下げる必要がないのに、反射的に喉を下げる発声をしてしまう点です。
もう一点は、根本的なことですが、姿勢の問題です。

1点目に付いては、類推になりますが、2つの理由が考えられます。
1つは、無意識でなってしまうこと。
例えば、喉を下げたほうが共鳴感が感じられるため、響いていると思い、喉が余計にその発声に反応して定着してしまうこと。

もう一点は、発声法というイメージを、固定的に捕らえているのではないか?ということ。
すなわち、喉を下げるということが、常に固定的に行われているべきである、と考えて、喉が反応してしまう。

姿勢ですが、歌う様子を見ていると、姿勢を正しても歌う瞬間に顔が前に出ること。
これも私の直感ですが、ブレス時に喉の準備を作るフォームのあり方に、その理由があるのではないか?
結局、これも喉を下げるか、軟口蓋を上げるのか?という、発声を固定的に捕らえようとする無意識ではないか?

こうやって問題点をチェックして浮き彫りになる事は、ブレスから喉を準備の状態にする時点で、固定的に喉を作る部分が、悪い方に影響していることです。
このことを、更に細かく検証していくのは、労力と時間ばかりがかかるので、
方法論に拘泥して、消去法で潰すよりも、悪い癖と反対の行為を覚えて、結果的に中庸な発声の道筋を探すほうが得策と思いました。

例えば、喉を下げる癖があるのなら、喉を上げてやろうと意識することです。
典型が、ドナウディのAmorosi miei giorniの冒頭のメロディのオクターブの跳躍です。
オクターブ跳躍することと、悪い癖の母音Oですから、二重に喉を下げてしまうでしょう。

上に上がろうとするときに、喉をコントロールしないで思い切り声を吐き出してしまうこと。
あるいは、喉を上げようと意識することです。
これらの行為で、喉の癖が中和されて、良い音程のポジションが見つけられそうです。
この歌い方だと、自分の耳には響かないで、直接音的に出てしまう傾向が感じられないでしょうか?
もし、そう感じられるのであれば、成功です。
自分の中で、響いていると感じるその傾向こそが、喉を余計に下げていることにつながっている、と思ってよいでしょう。