レッスンノート2014年9月17日

OM

今日のレッスンは豊作だったのではないだろうか?
喉を開けるという意味を理解し、実行できたのを確認したのは初めての気がする。

別宮貞夫の「さくら横丁」のある下降形のフレーズで低音側の声が安定しなかったのは、冒頭のフレーズの入りでフォームが決まっていないのだ、ということを指摘し、練習をした。

「春の宵」の出だしの5点Dの「は~」は、喉頭の下の気道辺りを滑らかに声が出だす感覚。
ここが開いている感覚で発声しないといけない。
そして、その感覚を壊さないで、次の「る」「の」「よ」「い」とつなぐように発音・発声すること、という方法論が、大きなきっかけになった。

結局、ブレスで喉を開けることと、声を軟口蓋から出だすこと、という基本中の基本を実行することだったのだが、今までこれが彼女は理解実行できなかったのが、今日は上手くできたのが成功のきっかけだった。
それからは、面白いように喉を開けることに関する、彼女の反応が良かった。

この喉を開ける、という意味は、喉仏を下げる意味でもあるが、今日のやり方は、胸筋という胸から喉仏につながる筋肉を使うため、必然的に胸から喉元にかけて、少し力が入る感覚がある。
これを、喉に力を入れる、とか、胸の声、といって避けていると、いつまで経っても発声の基本が身につかないだろう。

声を出すときは、必ずブレスの状態とあくびの状態を一緒にやって、声の出だしを用意すること。

復習となった、ドビュッシー「抒情的散文」「夢」も「花」も、5点gの響きがしっかりして、明快にファルセットにならない声になったことが確認できた。
これも、おそらく初めてだったと思う。

「花」の5点Asは、声がチェンジするが、喉元を開ける感覚をそのまま持ち続けるべきだろう。
そのことで、共鳴が感じられる、深みのある響きになるから。

「ラクメ」のアリアでは「鐘の唄」にいたる部分では、良く喉を開ける発声を意識するが、最高音へのメリスマは軽い声に切り替える、ということを指示した。
これも、良い感触があった。
喉を開けて発声できると、声帯や周辺の力みがなくなり、伸び伸びとした響きが出来るため、結果的に声の耐性が生じるだろう。

コロラトゥーラとはいえ、長丁場のアリアを歌うと、いつの間にか力んでしまって、肝心な時に良い高音が出せないと意味がないから。
それほど力まなくても出だせると事は、力まないで軽く出しておく、という配分を考えることは、大事なことである。

喉を開けた発声は、特に高音の換声点前後で有効だが、それだけで最高音域まで出来るない。
そのため、楽譜を良く点検して、どこでチェンジするか?切り替えるか?を良く見極めて、練習しておくと良いだろう。