MYM

正月休みで間が空いたので、発声練習に時間をかけてみました。
いろいろとやって見て強く感じた点は、フレーズの入りで音程のラインに強く乗り過ぎるために、頭声の成分が少ない声になることです。

このために、声のチェンジがしにくくなること。
また、下降の際に音程が下がりやすいこと、です。

頭声成分が少ないという意味は、この場合は声帯がぶ厚く当たって、息がきれいに流れない声になるため、換声点を上手く通過して高音に達せない状態ということです。

これは、以前から練習している通り、わざと息を流すような発声を練習します。
息を吐く練習から始めます。
前に当てると声帯が閉じやすいので、息を口から出すイメージではなく、脳天をめがけて息を送る練習をします。
この送る方向を意識して、

曲は、山田耕筰の「みぞれに与する愛の唄」から。ほぼ譜読みだったが、発声上の課題を細かく検証しながら進めました。
この曲は、シューマンやブラームスを思わせる濃厚なロマン派的音楽だから、声を滑らかに扱うことです。
その意味で、頭声の発声を覚えることが重要になってくるでしょう。
音域はそれほど高くないので、その意味でも発声を大事にする歌に創り上げたい。

このことは、最後に軽く通すだけ、のつもりだった「さくら伝説」でも徹底しました。
こちらは、明快に高音発声に関係してきます。
喉に当たらないで、開いた発声で息が頭部、あるいは鼻腔にきれいに流れるような高音発声を目指しました。

このためには、2つあります。
一つは、声の出し始め。
ピッチ(音の微妙な音程感)を高めにするために、強く出ださないように、柔らかめに慎重に出し始めること。
高音への跳躍時に、なるべく下あごで突っ張らないこと。
すなわち、あまり口を開けすぎないようにして、息が鼻腔から脳天にかけて入っていくようなイメージで発声することになるでしょう。

高音発声は、覚えるまで大変ですが、コツを覚えるとそれほど労力を使わなくても出せるようになります。
そのため、大変な時期に練習を忌避してしまうと、覚えられません。
楽な方に流れないで、根気良く練習を続けてください。

OM

ヴェルディの歌曲から、Ad una stellaから始めました。
概ね中音域の声は、頭声とのミックスがきれいに効いて、音程と響きの良い声になっています。高音への換声も良い状態ですが、5点Asの響きが上ずる傾向が出ています。
フレーズの最高音なので、その前の音で響きを確立して、その響きを変えないように(余計に押さない)口を縦に開けて声の共鳴を出すように出来ると素晴らしいです。

イタリアの古典的な歌というのは、音楽はとてもシンプルに書くことで、声の技術による美しさを際立たせるように作っています。
そのため、声を楽器として良く響かせることが出来ないと、面白い音楽にならないものです。
そういう声の楽器という面を強調する歌い方を学んでほしいです。

ドビュッシーの初期の作品の「月の光」本質的に彼女の声の特性に合っています。
軽やかで明るい旋律です。

今日はフランス語の発音を徹底練習しました。
発音と関係があるのが、母音発声の基本です。
顕著なのが、母音のAです。TaとかLaなど子音を伴った場合に、下あごで発音してしまう癖です。
これは、日本語発音の習慣がもろに出てしまうからです。
これを直さないと、真の意味でレガートな歌声になりません。
もちろん、イタリアの歌でもまったく同じことです。

ドビュッシーの「抒情的散文」から「砂浜」
回数を重ねているので、歌はスムーズですし、低音発声も有効です。

一点だけ言えることは、フランス語の歌という意味ではアーティキュレーションが未熟です。
アーティキュレーションとは、歌詞を読み込むことによってフレーズ全体に音楽的なアクセントが自然につく、というテクニックのことを言います。

どう読むか?を知るためには、日本語の詩や小説の文章を聴いている人が分かるように語る「朗読」を練習することが近道です。
それが出来れば、嫌でもフランス語を読んだときに、自然にニュアンスが出てくるではずです。

「砂浜」の日本語訳を読んでもらいました。
すらすら滑らかに早く読めますが、その代わりに聴いていると、切れ目がほとんどないため、聴いてイメージが湧く前に、読んでいる声が先に行ってしまいます。

まずは、ゆっくり落ち着いて読むこと。聴いている人が分かるように読む、という練習をしてください。
例えば、友達でも良いですから、相手を作って相手に聴いてもらう。そしてイメージが湧いたかどうか?
その点を練習して、成果が出ると、歌が大きく変わっていくと思います。