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前回軽いハミングを発声で散々やって好結果が出たので、今日はどうか?と思ったが、同じことをやろうとしても、再現性がなかった。

見ていると、どうしても喉に力が入ってしまう。
で、これはもう何もしないほうが良い、とあきらめて、とにかく喉を脱力して、軽く出す方法で母音、特に彼女が出しやすいアの母音で、かつ出しやすい1点Aくらいから始めてみることにした。
結果的に、この練習が良くて、音程が自然に決まるようになった。
文章にするとこれだけだが、大きな進歩である。

このうまく行った時の喉の状態と言うのは、どういう状態か?というと、恐らく彼女の感覚から言えば喉が高い状態、だと思う。
彼女の場合喉が力みやすいので、逆に顎を引かないほうが良かったのである。

私が最初から見ていた、声を出そうとするだけで喉を下げようとする力が、無理な状態を引き起こしていて、それ自体はその通りだったのだけど、それをどうやって解消するか?という方法論に迷いがあったのだろう。

ともかくも、今は姿勢の矯正だとか理屈などは抜きにして、声を出すということ自体が楽で脱力出来るくらいに意識してみることが、何よりも大切だと思う。

というわけで、シューベルトの前回も歌ったLachen und weisenから。Ruckertの詩による。
こちらは、音域もひどく高くないし短いし、今日の発声でうまく出来た声の脱力で音程も良く歌えるようになった。
彼女の声のテストに、といってはシューベルトに失礼だが、充分に美しくかつ無理の無い声で歌える素材としてはこれほど贅沢なものはないだろう。

特にその後歌った、GoetheのDer Musensohnなどは、絶品である。
このピアノ伴奏を弾ける人は実に幸せだと思う。

こんなにシンプルでフォーク調なのに、なんて品が良くて綺麗なんだろう!と思う。
シューベルトは詩人でいえば、立原道造や堀辰雄のような人だったのだろう。
飾らないで質素だけど、その時代に彼が憧れていた世界の美しさが、率直にこちらに伝わってくるようである。

今の時代、特にこの日本ではほとんど消えてしまって見えなくなった美しい世界を見せてくれるから、何かほっとするのである。

さて彼女にとっては、少し高めの声が出るが、今度は逆にほどほどに高い声の響きを無理なく出すチャンスであった。

音符で高い音、と意識して出すのではなく、旋律の中の一経過点と思って、廻すように歌えば良いのである。
頑張るから、力んで音程が悪くなるだけになる。
さらっと、軽く通り過ぎれば良いだけ、という感じで高音を対処してほしい。

最後に山田耕筰の「かやの木山」を。
こちらは、声のことも大切だが、音楽の構成がとても大切だ。
言葉が日本語だし、意味がシンプルで面白いので、語りの要素や歌い上げる要素などの変化を充分につけたいところ。
だが、先ずは、声を無理なく出すことに慣れることを徹底したい。