KH

初伴奏合わせだった。
合わせとしての問題はなかったが、強いて言えばベッリーニのVaga luna の伴奏である。
とても良いピアノの音で弾いてくれて、まるで昔のピアノフォルテ見たいな素朴で古雅な響きだったが、どちらかといえば
オケをイメージして欲しかったので、そのように伝えて弾いてもらったのだった。
面白いもので、そのようにイメージを伝えただけで、俄然音が変わったのだから不思議である。ペダリングの問題なのだろう。

さて、声の方は、前回から言っている、声の大きさのこと。
これは、腹から声を出す、と言う意味と、母音をもっと大きくイメージして発音、発声するということだ。
前回のレッスンで、口を単純に大きくはっきり開けて発音して欲しいといったのは、この2つの要素を、ごくごく自然に身体で実現する意味があった。

このことを今日も練習した。
ベッリーニ2曲を一通り歌ってから、最後のアリア「私のお父様」で、このことを実現してもらった。
これだけで、自然に身体から声を出すようになるのだが、意識しないと、口先だけで歌っているように感じられていた。

劇場でお芝居をするのと、テレビや映画の演技との違いと考えてもらえば判りやすいか?
喉で無理した大声を出すということでは決してない。
むしろ、歌詞の扱いを大きく考えることで、自然に伝わる歌になる、身体を使った歌になる、と考えて欲しい。

もう1点は、一緒に歌ってみると、上顎の奥がもっと広く高くなったイメージ、意識で母音、歌詞を発音してみると良いと思う。
それだけで、大声を出さなくても通った響きになるからである。

暗譜も譜読みも、伴奏も、何も心配要素がないので、発音と発声に意識を更に集中してみてはいかがだろうか?

レッスンでも話したのだが、この手のベルカントの声楽作品というのは、何をおいても声の質が要求されてしまう。
これは基本的なクラシカルな声質ということもあるが、19世紀風な声のスタイル、音楽のスタイル感、と言い換えても良いであろう。
その点で、声楽作品としてはとても難しいジャンルである。
そういう意味で、今回は、声の扱いと発音、をもう一度捉えなおして挑戦してみてはどうだろうか?

SY

「イブの唄」Eau vivanteから。歌詞の読み込み、歌いこみがまだ足りない感じ。
器楽であるピアノがきちっと弾けてくると、歌手の歌詞を読む力、声のテンションがとても気になってくる。
楽譜の歌詞を見ながら、とつとつと読んでいる感じが抜けないと、本番らしい緊張感が出てこない。
そろそろ、良い意味での緊張感が歌に欲しい。
ということで、暗譜はほぼ終了しているので、なるべく楽譜を外して歌うことに徹してもらった。

Comme Dieu rayonne aujourd’huiも同じことであった。
特に最初のモチーフの歌詞発音である。明快に、大きく、を大事にお願いしたい。

いずれも言えることなのだが、音楽的なこと、それは旋律の理解を中心として、作品の理解度が、自然に歌詞発音の力強さと関係するのかもしれない。
その点から考えてみると、今回の「イブの唄」の2曲は、理解度がまだ浅いのかもしれない。
ただ、逆に言えば浅ければ浅いだけ、歌詞を読み語ろうとする力、テンションは、理解とは関係なく、むしろ理解が浅いのであればこそ、力強くなって欲しいと思う。
それは、良くも悪くも演技、ということも出来るかもしれない。闇雲に、という言葉があるが、こういうときこそ大切である。

さて、その面からすると、「夢の後に」は、理解度が高い曲、ということになるのであろう。
色々な表現法を探すことが出来るまでに成長してきている。
今回、少しテンポを元に戻してゆったりしたテンポで器楽的な演奏を、ということでやってみた。
結果的に、ピアノがブレスを慮ると、ただでさえゆっくりのテンポが更にゆっくりに感じてしまい、聞いていて、少々鬱陶しい印象が残った。8部音符の刻みは、ブレスはあまり意識しない方が良さそうである。

考えたのは、最初のモチーフの歌い上げで個性を出すこと。
それは、ビブラートが出ない、フラットなフレーズ感である。
ということは、いわゆるベルカントに昇りフレーズでのクレシェンドを付けないことである。
そのようにしておいて、2回目の同じモチーフは、今度はニュアンスをつけて、昇りフレーズクレッシェンドで、エスプレッシーヴォで
歌い上げる。というように作ってみた。
これがなかなか成功で、効果抜群であった。

「蝶と花」は、テンポを崩さないのだが、歌詞発音での微妙な滑らかさをテーマにした。
La pauvre fleur disaitのPauvre~fleur~disaitと8部音符で繋がるところが、滑らかさが足りない。
一種の旋律を歌う作法みたいな部分。あるいはグレゴリ旋法の中で出てくる、細かい動きを一まとめにした音符で歌うようなことだろうか。後はPourtant nous nous aimons et nous vivons sans les hommesのところ。
Nousの母音の狭さと響き、音域が下がってくる、Sans les hommesの音程である。
これは、他の節でも同じことなので注意が欲しい。

AC

久しぶりだったが、どうやら声のほうは変わらずで、少し声を温めたら以前の調子を取り戻したので安心出来た。
フォーレの5つのヴェニスの歌曲「マンドリン」から始めた。
ピアノのテンポと音色がこちらの目論見通りだったのが、とても助かった。この3曲の伴奏音楽、作りこみに時間がかかると思ったのである。
声は、最初どうも母音の響きの扱いが小さく、結果的に小さな音楽に終わってしまった。
が、まずは4曲全部通してみた。
ピアノと歌のアンサンブルがどれだけか?を確認しておきたかったのである。
結果的には、問題なく良く歌えていた訳だが、声としては喉が開き切れていないために、中間で出てくるメリスマの響きもはまらなかったようである。
Les donneurs de serenadeという4つの単語の中のE,A,Oの3つの母音は要なので、良く口の中を大きく使ってアーティキュレーして欲しいと指示。
そのことで、喉も自然に開いてきた。
発音を明快に意識することは、ある面で発声に良い影響を与えるのだろう。
普段我々も意識しないとぼそぼそと喋ってしまうが、その状態で歌えば、声もぼそぼそとしてしまうだろう。

Greenは、出だしのメロディははっきりしっかり歌い出した方が旋律が明快になるようだ。
伴奏は、Qui ne bat qu pour vousで少しRitがあると、歌いやすい。
同様に再現部のSur votre jeune seinもDolceなので、完全なA tempoよりも、少しゆったり目だろう。

C’est l’extaseは、とても良かった。
というのは、完成度が高いという意味ではなく、一発で通ってしまう感性といおうか?ピアノと彼女のアンサンブルの妙なのか?
あるいはこの曲が持っている。ある種の完成度のせいなのか?

歌としては、やはり歌詞の発音で母音のイメージをもっと大きく捉えること。
大きな母音をイメージして歌うこと、であろうか。
それから、コーダのPar ce tiede soir tout basの部分のリズムを勘違いしないように。ブレスが長いのでブレスタイミングを
意識できれば間違いないだろう。逆にブレスが短くなって、フレーズを早く切ってしまうと、間合いを勘違いして、結果的にブレスを間違えてしまうのであろう。

「墓地にて」は、最初の2つの長いフレーズ。発音をさらさらと引っかかりなく素早く、進めばブレスは問題ないだろう。
後半のChantで引っかかってしまう。ピアノが付いてくるはずだから、さっさと歌って良いのである。
中間部の長いロングトーンもどうか?と思ったが、まずまずだった。
細かいニュアンスよりも、歌に力を持って、母音を大きく伴奏と共に大きな音楽を作り上げて欲しい。