発声練習で高音域のハミングをやりだしたのがドツボにはまる原因だった。
どうも彼女は、高音域、2点F以上になると、声質は良いとして音程が♭になる。
ハミングをやらせてみたら、これがどうも音程がはまらない。
特に2点A以上になると、どうも舌根が力んでしまうようだ。

これは、一概に悪いというわけではなく、高音の芯を取った頭声だけの
練習が出来ない、というか方法が分からないということだろう。
もう一つは高音を出す不安、苦手意識、緊張などなどがなせる業でもある。
意外と歌になると、平気で出来ていたりする。

ただ、発声練習というのは機械的な行為を通して、いつでもどこでも一つの方法を使える、という確かな再現性を得るための、確認という意味もあるのだ。

舌根が邪魔をしているので、舌先を出してしばらく練習をしてみた。
高音に昇るほど下に力まないで、上に高く喉を意識しないで頭の中で鳴らす感覚。
そして、喉を力ませないで、息を高く吐き上げるようにお腹を自然にじんわりと中に入れること。

今日はやらなかったが、胸骨、胸全体ももう少し高く張った状態も必要かもしれない。
お腹もいきなりドスンと中に入れるのではなく、常に下腹部が少しだけ、緊張した状態を保っている方が、お腹が自然に使えるのではないか?と思うがこれは本人の感覚で調節していただきたい。
なぜなら、人によって体形や、筋力が変わるからである。
出来ないものを、方法論だけで縛るのは不合理なのである。

さて、曲はヘンデルのVadoro pupilleから。
こちらは、前回、厳しく指導したリズム感が功を奏して、かなり明快な音楽になってきた。
今日は、フレーズごとに、身体を使うこと、お腹を使うことで、息を伸ばしていくようにフレージングすることを徹底した。

というのも、発声練習時にもその癖が出るのだが、フレーズで音程差がある跳躍の時にフレーズが途切れる癖があるのだ。
ド~ソと歌うときに、微妙に間が切れる。
これは、ド~を歌ったときに、きちんと息が声に繋がっていない証拠である。
歌は、必ず息の力で音程移動、フレージングすることが基本である。
お腹を使うと言うのはそういう意味。

というようなことを、練習。
モーツアルトのRidente la calmaも同様に練習。
前述のことがきちんと、出来て、初めて譜読みが完成である。
譜読みの段階から、基礎的な打点のリズムと音程という点を確実にしたらその点を線にしてつなげる、という、フレージング、アゴーギグというものを
必ず練習する必要を理解して欲しい。

それらのことも合わせて、コンコーネ50番の10番以降から、練習してみることにした。

さわださん

彼女の声はこのところ非常に安定している。
メゾソプラノという観点から見ると非常に良い中低音域の声になってきた。
特にイの母音だと、一番低いチェンジの声質のままかなり高い音域まで
段差なく上がれるようになった。

ただ、まだアの母音になると声が散ってしまう傾向が強い。
何とかエの母音でも声が当たるようになってきている。
また、エとかアだと一番低い音域は地声風になってしまう。
この辺りは非常に難しいところなので、無理に響かせないでチェンジさせていることを維持した方が良いだろう。

その代わり、中音域はやはり響きがなかなか集まらないが、これは温まると良くなるので、それほどの問題ではないだろう。
本人の自覚があるので、段々と良くなるだろう。

それから、出来ればもう少し高音が伸びると良い。
それほど超高音は必要ないが、せめて2点bまでは使いこなせるようになってほしい。
また、そこまで行かなくてももう少し喉の上がらない落ち着いた高音2点Aまでは出せるようになりたいところ。

これから勉強して行くフォーレの「我らの愛」はキーを中声用にしたとしても最後の高音は女声らしく、2点Aに上げたいところだが、喉が締まって細くなってしまう。
ここは実は彼女の一番の苦手コースだろうか。
ここが克服出来ると、メゾソプラノとしてもかなりレパートリーが増えるだろう。

曲はフォーレの歌曲、「イスパーンのバラ」
出だしから2ページくらいは、とても良くなった。
言葉を語る自信があるからだろう。
フレーズの食いつき、言葉を語り歌うリズム感が出てきている。
その分、実に素直に練習できていない後半部分ととの差が出る。
やはり言葉を語る練習は必要だな、と実感した。

同じくフォーレの「祈りながら」は、ほぼ譜読みの内容は良くなったが
前にも書いたとおり、8分音符の扱いをしっかりと。
特に伴奏が3連符のところは、感じるよりも少し重めに感じるくらいで
丁度良くなるのである。

後は、この曲では言葉の重要な部分を教えた。
詩の節の終わりの母音が、Uで終わるのと、曖昧母音eで終わる部分の2種類がある。
曖昧母音が狭いと、Uという母音との差が見えないので、もっと広く発音する方が綺麗だ。

後はPere Priere Seigneur Lumiere levre などの広いエの母音も非常に特徴的である。
それらの広い母音のエはこの曲の明快さ、透明さを表しているからである。
このように母音の美しさを確認して、それを歌声に反映させることが出来ることでその歌の持つ深い味わいが良く表現されるのである。

最後に「我らの愛」を譜読み確認。
こちらは、テンポをゆっくりして練習したことと、上述の言葉の韻を確認。
こちらの曲はテンポが速いのと、言葉が多いために、多少テクニックがいる。
それは、強調すべき母音があったら、それを瞬時に強調するのだが
それだけだと、リズムが合わなくなるために、他の部分、特に細かい音符の部分で多少端折るということをしなければならない。
要するに辻褄を合わせるのである。

これは、とても難しいので、レッスンに来た際にやりたい。
とりあえず、言葉をよく読みこむことだけは練習して欲しい。

わきくろまるさん

彼女はどうも予想以上にユニークな人で、面白い。
本人は心外かもしれないが、その歌うスタイルから伺い知ることが出来る彼女のキャラクターの一端は、明るさ、天衣無縫な部分なのだろうか。

とても礼儀正しい方なのだが、歌というのはそれだけでは済まない部分が見えるのである。
それが面白い所だし、そういう部分が見えるのは、人間的にも妙味があって良いと思う。
もしそういうものまで隠しおおせててしまうポーカーフェースだとしたらば、それは歌手としては失格だろう。

発声練習の声は、相変わらずビンビンと良く出て、高音域も軽快で痛快。
鋭さのあるアルファロメオのナチュラルアスピレーションのエンジン(ターボを使ってない)を思わせる爽快さがある。パワーそのものではなく、アクセルレスポンスが良いのだ。

いつものようにイの母音で始めたのだが、意外にも2点Aでこけた。
口を開くのを忘れたらしい。高くなってきたら、ある程度開かないと
喉がひっくり返るだろう。その辺りの感覚はいつも大切に持って欲しい。

だが、いきなりアの母音に変えても、中低音から喉の当り具合を感覚的に掴もうとする様子が良く分かる。そのせいで、非常に良い声質のアの母音である。
惜しむらくは、歌になると譜読みに時間がかかること。
この意味は、音を取るのに時間がかかるという意味ではなく、音楽が身体に入るのに時間がかかること。

恐らく譜読みの時に、鼻歌みたいにして音を取るのではないかな?
一通りはそれでも良いから、なるべく短い短いフレーズ単位で
なるべく声をお腹からしっかり出して、確実にして、それを長い全体に
敷衍していく、という方法も取った方が良いだろう。
急がば回れである。

曲はベッリーニのPer pieta bell’idol mioから。
これもその通り、通り一遍の譜読みは出来ていたが、細かい所で彼女の癖が。
まず言葉の扱いと音符との関係。
Per pie | ta 小節線を挟んでいるわけだが、アウフタクトの部分は少し重めに出て、1小節目からテンポで。
このアウフタクトの言葉は、ペル・ピエと素直に読まないで、ペールピエ、という具合に母音を強調することと、子音を音にしないこと。特にRの子音。
他にもそういう子音を音にしない所があったが、それは書かない。

後は、全体に譜読みの確実さが少ないので、声がやや浮つき気味。
それと、口の使い方だが、特にイの母音を横に引かないこと、
エもそう。またアの母音ももう少し縦に意識すると良いだろう。
声を前に意識することだけで、喉が高くならない、安定したしっかりした
高音にもなるだろう。

それは、次に練習したVanne o rosa fortunataも全く同様である。
特に曲内の最高音、2点Aに昇っていくフレーズ、Bella rosa belle rosa
la trovar dobbiam la morte tu d’invidia ed io d’amor
特にTuの高音は、口の開き方を工夫して、喉が上がらない高音に成るように注意。
そして、Morteの終わりのエも2点Aだが、喉を締めない様なアーティキュレーションを開発して欲しい。
後は、正確な修飾音符の扱いも交えて練習して欲しい。