彼女は声が温まるとお腹と付いた声になってくる傾向がある。
それは特に中低音域。
高音2点Fくらいから上はすぐにでも綺麗な細い響きが出せる。
これは誰でもそういう傾向かな。
中音域は最初はどうも喉から上だけの声になってしまう。

声が当たらなくても、声を出すポイントだけはお腹から、というポジションが決まり出すと、大分楽なのだが。
喉を意識しても良いので、声の出し始めをみぞおち辺りから出始めるということを意識して欲しい。

そのためには、ブレスが大切。
ブレスをあまり強く意識しない方が多分上手く行くのではないかな。
あるいは響きを高くしよう、とか喉を使わないようにしよう、という意識も持たない方が良いと思う。

今日は初伴奏合わせで、全曲いきなり通してみた。
まあまあ何とかなるレベルでまずは安心できた。
今は、やはり声がちゃんと出せているか、出せていないか、という最低限の喉の使い方だけを目標にしたい。

それは1曲目の出だしの声で決まる。
Le sommeil est un voyage
mon dieux ou est-il parti?
J’ai beau bercer mon petit

このLeの響きをきちんと当てた響きで始まること。
何となくかするような響きになると、後が全部すかすかした声になってしまう。
これを避けたいところ。

この曲集は、静かな曲想、はっきりとした曲想入れ替わり立ち代りだが、すべて、同じである。
出だしの響きできちんと当てられないと、後がすべてすかすかふがふがで終わってしまう。
それでもフランス語も喋れているし、それなりに声が出ているのだが、この最初の声の当たり具合でやはり全然違うのである。

テンポとか、ブレスの間合いとかも細かく見ればあるにはあるが、まずは声楽的なベーシックな機能がきちんとした上で
それらのディテールを問題にしてほしい。
ベーシックな機能とは、ブレスから声が当たって出て、フレージングする、というところ。
それがきちんと出来れば、ブレスはほとんど問題にならないだろう。
ブレスの間合い音楽のテンポ通りにこだわる必要のないところもある。
自分の間合いが取れれば更にブレスは楽になるだろう。
そういうところを研究して欲しい。

いそがいさん

今回はあえて発声練習をしないで始めたが、やはり最初は調子が悪かった。
発声をしないと調子が悪いのは、やはり発声のポイント、方法が確立していない証拠ともいえる。
喉は温まらなければ振動しにくいのは誰も同じ事で、振動させないと声を出した感覚が出ないから、なおのこと
無意識に声を喉で出そう出そうともがけばもがくほど、かえって調子が悪くなるのである。

覚えて欲しいのは、温まっていようがなかろうが、声の響きを高いところで出す、出そうという感覚である。(彼女の場合という限定的なこと。人によっては、響きを高くしないほうが良い場合もある)
それはそのために顔をぐらぐらさせないこと、きちっとした姿勢を保つ、というところに、発声のポイントを確立する要素がある。
声は声の調子やポイントが定まらないという意識で、ついつい微妙なストレスを感じて体がぐらぐら、顔もぐらぐらする傾向があるもの。
調子が悪いときほど、姿勢に注意を払って欲しい。

そうやって出しているうちに、自然に声は調子を上げて行くだろう。
仮に調子が出なくても、声がまるで出ないわけではないのである。
調子が出なくてもやりくりする、感覚や知恵も芸の内である。

また厳しいようだが結果的な演奏の良し悪しというのは、声の調子のせいだけに出来ない面がある。

ただ、1レッスン通して感じたことは、彼女の一番の課題は、ブレスすることと、歌うための呼気の使い方にあるらしいこと。
ブレスはほとんど目立たないが、逆に悪い意味でブレスがほとんど意識できていないのではないか?
それは音楽的なリズム、ビートに自然に乗ってリズミカルなブレスと、そのブレスを声にするときに節約して定量的に使って行くという感覚である。これは以前から感じていたが、解決のきっかけを持たないままである。

今日もシューマンの「女の愛と生涯」4番からはじめたが、声がきちっと出ないのは良いとしても、フレーズで歌うということが、まったくなくなってしまう要素が、一体どうして起こるのか?という点である。
何に気を使って何が出来なくて、何が気になってしょうがないのだろう?
本番ではないレッスンだとはいっても、「さあ歌いましょう」とピアノが伴奏を始める、そうやって音楽を演奏するという動かし難い音楽の時の流れを、自ら止めてしまう感覚は何によって起こるのだろうか?
増して本番にかけたことのある曲である。。
調子が悪いときほど、なにくそ!と奮起してやり通す、オーラ、精神力、集中力を高める気の強さみたいなものが欲しいところ。

ピアニストが変わったという面もあるかもしれない。
逆にそのことでブレスのタイミングやリズムが違うかもしれない。
しかしそれこそが、勉強するチャンスである。
このような歌曲作品は、伴奏部の演奏のクオリティで音楽の質が劇的に変わるから、歌手はその間合いをよくよく学んで欲しい。
そのことこそが、歌手の勉強につながるはずである。
もしピアノが歌手の力量に沿ってしまうばかりになると、歌手は成長するきっかけを失ってしまうこともあるだろう。
楽に歌えるイコール良い演奏になるとは限らないのである。
それは発展途上の場合増してだと思う。