MM

発声練習は、器楽的に練習した。これは言い方を変えれば機械的とも言える。

1点F~2点Fの1オクターブ間で、特に2点C~Fの間の声とそれ以下の音域の声との明快なチェンジを練習した。
特に気をつけるのは、1点Aくらいから上に5度で上がるアルペジオだろう。
低音側は常に、下顎をよく降ろした響きで入ること。そして、ドミソの内で一番高い第3音ソの響きは、
前で少し切れても良いから、喉で押してずり上がらないようにすること。

その響きは、下降形で取る響きの状態に入れるように、である。
だから、練習としては、最初に下降形で高音を練習しておいて、次に低音からの上向形でこの練習をするのが順番であろう。
これから、この練習を徹底して、チェンジを上手に出来るようにしたい。

今日のレッスンは面白かった。
前回初物となった平井康三郎の「うぬぼれ鏡」は、エリック・サティの影響がきっと濃いのだろう、という実に勝手な推論の元、表現を考えたからであった。
これは、まったくの私の勝手な想像の産物だ。
ただ、私にはこの推論によることでしか、この曲の理解が進まないのも事実。

えてして女性は、この歌詞と音楽をシリアスに捉えることが出来るのかもしれないが、私には想像外である。
ともかく。ブッファにせよ、セリエにせよ、真剣にやらなければならないのは同じことである。

そして、彼女に限らずこういう曲をやることがとても勉強になる意味は「真剣にやる」ことの理由は、発声の方法論よりも、ネーティブ言語と真正面から対峙しなければ、歌にならない、表現にならない、という面ではないだろうか?

発声で役立つことは、声の響きが共鳴しているかどうか?すなわち喉で押した声になっていないだろうか?という程度のことしか言えない。

順番が違うが、最初にやったモーツアルトのイドメネオのアリア。
やはり、発声練習で行った練習の徹底だった。
響きが良く響くからと出してしまうと、2点Gくらいの響きが♭になりがちにならないだろうか?
響きの感覚は大切だが、えてしてよく響くと思う感覚が♭な響きにつながることがある。
それは共鳴のポイントが低いのだと思う。
もっと軟口蓋側の共鳴の意識を持って欲しい。

この曲はこれだけで大分良くなるのだが、後は歌と音楽が表現している、ドラマを歌詞を歌う中で
精一杯表現することで、声が明るくなったり、ヒロイックになったり、焦りが出たり、ということで
声の音色が変化して奥行きのある歌になるだろう。
発声の基本は、そのための手助けなのである。